被災地障がい者支援センター 白石清春さんの日記1

2011年06月12日10:56
白石個人
6時に起床。栄子はきょうから出かける。100キロマラソンに挑戦する。帰りはあさってになる。当分栄子の介助なしで生活。さすがに眠いので少し横になっている。
9時に家を出る。放射線量・家の玄関前0.5μ㏜、緑町・三部会計事務所前0.56μ㏜、朝日・立正佼成会会館前0.63μ㏜。
………………。
午後の7時前にR君がみえる。みんな(白石、S君、Sさん、R君)で車に乗って、白石の家からシャワーチェアーを運んで、H宅へ。H君、ヘルパーのKさんを乗せて、女子大の近くの島の湯という温泉に行く。疲れをとる。ちょっと熱めだったが、気持が良かった。
9時ごろに島の湯を出て、開成山のアンジェロへ。夕食を食べる。ピザ4皿と大皿のサラダ、その他にS君とR君はパスタも食べる。Sさん、S君、R君の健啖ぶりにはびっくり。
10時半ぐらいに家に帰る。息子は寝ている。
支援センター
9時過ぎにボランティアのK君が東京へ帰っていく。K君は東北関東大震災障害者救援本部(全国自立生活センター協議会やゆめ風基金等)から支援センターに詰めているS君のお友達である。K君はいったん東京に帰ったりしたが、4月のはじめからきょうまでよく働いてくれた。お疲れ様でした。
ミクシーや日記付け。
ボランティアのSさん、Iさんがみえる。Iさんは千葉からみえる。
田村のWさん、介助者さんがみえる。
11時からS君の司会でボランティアのミーティング。
6.11原発いらね!郡山パレードは雨が降ったら中止と書いてあったので(ちょっとだけ雨が降っている)、どうなるのか、問い合わせれば予定通り行うとのこと。
ボランティアのSさんが持ってきてくれたおにぎり、煮物、フルーツをみんなでご馳走になる。
12時前に車で出て駅前へ。私、Sさん、S君で行き、S君は車で帰る。雨がちらついているのでSさんに合羽を着せてもらう。Y君、H君が来ている。昔左翼系の連中が顔を見せている。私の従兄も来ていた。田村のCILのEさんが挨拶をしている。代表者の挨拶の後、駅前周辺をパレードして歩く。雨が上がって晴れてくる。参加者は300人程度か。30分ぐらいパレードして、駅前に戻って解散。S君が時間と場所が分からなかったとのこと。マイミクのPeaceさんと会う。
S君に車で来てもらって、3時前に支援センターに戻る。
女性陣で支援物資の整理を行なっている。
インターネットでチェルノブイリのかけはしのNさんの講演の動画を見ている。EM菌で作った発酵ジュースのことを知る。発酵菌が放射性物質を自分の身体に取り込んで、放射線をエネルギーとして活用しているのではないかとNさんは言っていた。発酵ジュースを薄めて庭にまけば、庭の放射線量が減るのだそうだ。EM菌で発酵ジュースを作ってみようか。
2011年06月11日10:24
白石個人
7時起床。ニュースで、本宮で名古屋の大学の准教授がイネやヒマワリなどを植えて、一番放射線を吸収する植物を調べて、放射線除去とバイオマスの研究をするとのこと。UF-787プロジェクトと連携していくことができる。早速連絡を付けなければ。
8時半過ぎに支援センターへ。
…………
夜8時過ぎに事務局会議が終り、三浦屋貝願亭へ。ボランティアのK君が帰られるので、私、O部君、S君とでお別れ会を開く。生ビール2杯飲んだら、疲れているのでふらふらになる。11時前に家に帰る。風呂場で身体を洗ってから寝る。
支援センター関係
9時ごろにボランティアのIさんが帰っていく。
9時半ぐらいに白石、S君、K君とで車で出かける。あいえるの会事務所へ。ICコーダーを取って→日和田のさくら館へ。K君がナビにさくら館の電話番号を入れたが、違う場所に行ってしまう。慌てて住所を入れて、10時 過ぎにさくら館に到着。施設長のSさん、生活相談員のGさんが対応。大震災で南東北病院に入院していた方が一時的に非難してきたとのこと。 ディサービスを利用している方の家の荷物が散乱して、帰れないので何人かが一泊していったという報告。さくら館の天井のパイプがズレて、水浸しになったと のこと。
須賀川の福島病院へ。室長のAさん、女性の医師、事務の方が対応。重度の重複障がい者が入院している。一棟に40名(三棟ある)、 一室に8名の障がい者が柵付きのベッドに寝かされて、昼食を食べていた。避難してきた障がい者は女性で重複の方一名で、田村市から来たとのこと。家族は仮設住宅に入ることが決まったが、一緒に住むか、福島病院に入所させるかは決めていないとのこと。少し動ける者は部屋の床や廊下に出てはいずり回っていた。 郡山から入院したY君に会ってくる。私の顔をあまり覚えていないらしい。いくら重い重複障がい者でも地域の中で、グループホームのようなものを造って住民と共生した生活をさせたいなあ。
それから銀河のほとりへ。Aさんがいる。お昼ご飯を食べる。タケノコカレーとまめ入りカレー。Aさんがテレビ朝日の取材を受けている。明日行われる反原 発の運動のことでの取材らしい。スイートホットで作っているという墨入りビスケットが置いてある。Aさんから支援物資(主に服類)をもらってくる。偶然(はないか)に マイミクのまるさんが銀河のほとりにみえる。義母さんを一人にして置いていけないので、お子さんと郡山にいるとのこと。でも元気そうで良かった。夏休みで もちょっと旅行にでも行こうかなと言っていた。ちょっとでも少しでも遠くに行けば、気がまぎれるから。元気が出れば免疫力がアップするので。
2時半ぐらいに宇津峰十字の里へ。園長のNさんと係の方が対応。はじめに園内を見学。知的障がい者の施設だからか、段差だらけ。部屋は4人部屋が多い。定員は50名。他に20名規模(通いか)の作業所があったが、今回の大震災によって倒壊したので十字の里の一部を使っている。そのようなことがあって、一件被災障がい者の受け入れを要望されたが断わったという。園長さんが1人でしゃべっている。施設は避難する時にはみんなで逃げなければならないので、在宅より大変だというようなニュアンスでしゃべっている。そして、最後には、JDFで原発をなんとかしてほしいと言う。なんだこの人は。施設反対のJDFを目の敵にしているのか。「原発のことは東電に言ってください」と言っておく。そんなに言うのなら反原発の運動でもすればよいのに。
4時過ぎに支援センターへ戻る。

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