千夏のちょっと行ってきました

NPO法人 自立支援センター「ばあとなあ」企画・主催の「日中活動 生活介護事業所フレンズ」での交流会に行ってきました。

近鉄奈良線 「若江岩田」から住宅地を抜け、田畑と空を見上げながら、車いすを押してくれている東さんと到着。大きな工場が外装の建物は、80年代のドラマを想わせる。
「あのー。障害者、健常者関係なく人がこれだけ集まっていたら大変じゃないですか」見学のあとの交流会で私は恐る恐る聞く。
「人間関係は・・・ ポジティブに楽しんでます。福本さんもすごい楽しそうやん」「はい、こうして誰かに会えるのは楽しいです。職場でも、苦しみながら楽しんでますよ。」と私。「なんや、それ」と大笑いしたので、さらに伺う。
「ここって妙に落ち着く不思議な空間なんですけど、工賃とか出ます?」「おっ福本さんも来るか?工賃は 来た日数がけ。人によって変えたりはしていない。何ができてもできなくても均一工賃や。ショートステイのベッドもあるで」
「ここ、平地で安全そうですしね。あっ防災活動とか何かしてます」
「地域との関わりが大事でしょ。夏祭りに参加したり、避難訓練に合流してる。避難所になっている小学校に、みんなでワーッと行くと授業中だったりしてね。子供ががやがやするのをひそかに楽しむ悪い大人です(笑)地域の消防署を呼んでする消火活動もなかなかのもん。イメージではなく、実際目の前で消火器を抜いたら、あっ日頃から気をつけようって思うもんです。どや」
「はい、完璧です。ご協力ありがとうございました」
「あはは、一応仕事もしはるやん。また遊びにおいで」と見送られる。

追記 行きと帰りの少し長く揺られた電車の中で考えたこと
NPO法人「ばあとなあ」は、視覚障害者・故 楠敏雄氏・自立の家つばさが発しょうである。当時、作業所の役割を評価していなかっった、むしろ否定的だった自立障害者の先駆者的な彼が、なぜ、この場所をつくったのか(・・?

楠氏の追悼記を開いてみると。彼がたてた作業所の基本的な要件は、三つだ。
◆平等性の原則・・・障害者―健常者の関係を問い直し・雇うー雇われるの関係、指導されー指導する関係の否定し障害者が地域で共に生きる関係の創造する。
◆,自立性の原則・・・障碍者の自立を目指し、障害者のあるがままの生き方をつきだしつつ、経済的にも自立できる労働の場、生活の場をめざす。
◆開放性の原則・・・閉鎖性を克服し、地域の様々な人々に解放された場。差別と闘うために地域の拠点となることを目指す。
これを私なりに解釈すると、障害者であって何が悪い。精一杯のありのままを受け入れ、みんなにもその姿を見てもらいなさい。ここはそんな場所なんだよ。こんな具合になる。
楠氏の「たかが作業所 されど作業所」
これもあの頃も今も生き場の少ない障害者が、置かれている状況を表した切ない言葉である。
いつの時代も、だれも、これで良しなんて思ってはいない。
制度ができ、制度に思いがのみこまれそうになろうとも、
現実にむき会いながら、明日を夢見て生きたい。
それは、きっと人とであい、つながり続けることでしか可能にはならないのだ。
このことに気付かせてくれた「ぱあとなあ」という場所に感謝である。

遅ればせながらの ふくもと ちなつ

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