ヒデの救援レポート 2015年9月15日№182

日本という地域の自然はヘンになっているのではなかろうか?
雨が降れば鬼怒川のように決壊して洪水になり、東京でも震度5弱の地震が起こり、熊本では、阿蘇山が噴火した。
どこに住んでいても、自然災害と無縁ではいられない。
洪水被災地では障害当事者、障害者拠点に被害がでていないか、ゆめ風基金として、八幡理事を中心に、情報を集めている。
もし、お知り合いの中に、そのような情報があれば、是非ともゆめ風基金まで、お知らせください。


●hideの住まいする箕面市の:人権啓発推進協議会:は、今年で3回目になる、東北被災地を訪ねる義援行動を、福島、岩手、気仙沼を10月24日から行います。
hideも副会長として参加します。
またレポートしますね。
●京都市地域・多文化交流・ネットワークサロン通信:第14号からの転載
連絡先 TEL 075-671-0108 FAX 075-691-7471
東九条のぞみの園-のぞみの園ボランティア~東日本大震災被災地研修旅行
・5月26日(火)から3日間、東九のぞみの園(登録団体)の創立20周年を記念した東日本大震災被災地研修旅行が実施されました。
宮城県石巻市、福島県南相馬市をまわり、東日本大震災による津波と福島第一原発の被害の実態を学んだ参加者の方に感想を寄せていただきました。
○ボランティア研修旅行に参加して、石巻市と南相馬で被災4年を経た現実を見た。
地面の嵩上げの台形の土盛りがポツンとあるだけの広大な空き地。
表土を剥がして詰めた黒いゴミ袋が並ぶ荒れた田圃。
目に映る情景と映像で見た津波の光景、更に思い出の田圃風景が重なって頭も心も混乱している。
東北への想いは深いが、未だ文章化できそうもない。
小さな感想を一つ二つ記して報告とさせて頂く。
○石巻市立大川小学校:宮城県石巻市:ステキな可愛い学校だったんだね。
地域の自慢だったんだね。
そこで、こんな・・・怖かったろうね。
悔しかったろうね。
悲しいね。
こんな時、本当は黙って泣いていたいよね。
だけど君は、死にたくなかった友達に替わって話した。
校舎を残してくださいって。
校舎は残った。
そして君は強くなった。
津波の語り部になるんだって。
語ることで故郷喪失の不安を乗り越え、故郷が回復される。
その時、校舎は役目を終える。
慰霊碑と物語を残して。
大津波の物語と共に君達の物語も語り継がれていくだろう。
○原町さゆり幼稚園(福島県南相馬市)表土を埋めて人工芝張った園庭に元気な声が弾ける。
でも、どこからか微かな声が、『ゾウさん ゾウさん おはながながいのね そうよかあさんも ながいのよ』
ゾウさんのすべり台、大好き!
長いお鼻をすべったら、お空に飛んでいけそう!
ゾウさんのすべり台は、お庭の隅っこで、悲しそうに聞いていました。
ああ、砂場が建物の中に・・・言葉もなく立ちつくす。
こんな現実を子ども達に与えてしまった大人のひとりとして。
(田花安子:のぞみの園ボランティア)以上
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これまで届けた救援金
354,650,649円(2015年7月3日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
260,535,032円(2015年3月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●市民による健康を守るネットワーク:たむら市民ネットニュース№13号からの転載
『フクシマ・ナウ!』
2011年3月11日の地震、津波そして東電福島第一原発事故から、4年4ケ月が過ぎました。
そのフクシマの今を記録したい。
連絡先 TEL 0247-82-2909
●避難住民の強制帰還
フクシマの避難者は現在約12万人(2015年1月、初年は16万人(:県外6万人)
放射能の除染作業は年間被ばく線量を20ミリシーベルトを超える地域等を選定し、年間被ばく線量を1ミリシーベルトとすることを目的に開始されたものの、2016年度で終了し除染の当初の目的としていた、法規定(原子炉等規制法)の年間被ばく線量1ミリシーベルトへの低減化は実質困難なことから、除染の目標を達成することを外した。
また、選定した各地域の除染作業は一度きりとして、その後の放射線量の増減管理についでは、国は行わないこととし、必要なら帰還住民に対して放射線の測定器を貸し出すとした。
今年6月12日、政府は『帰還困難区域』を除く(居住制限区域・2万3千人::避難指示解除準備・2万1800人::特定避難勧奨地点・152世帯:年間被ばく線量20ミリシーベルト超)を、遅くとも2017年3月までに避難解除する方針を決定した。
●対象地区の住民への慰謝料の支払いは2018年3月で一律終了とする方針を示しています。
●平成27年6月12日「原子力災害からの福島復興加速に向けて」原子力災害対策本部
さらに、これに合わせるかのように、福島県や国は、自主的避難者(推定で2万2千人~3千人)に対する借り上げ住宅制度(災害救助法)による、無償住宅供与を2017年3月に打ち切る方針を打ち出そうとしている。
自治体が民間アパートや公営住宅を借り上げる「みなし仮設」はこれまで無償提供されており、自主避難者からは継続を求める声が上がっている。
●楢葉町避難指示解除9月5日に
政府の原子力災害現地対策本部本部長:高木陽介副経済産業相は、東京電力福島第一原発事故で全町避難となった楢葉町に、避難指示を9月5日午前9時に解除すると伝達した。
政府は「8月のお盆前」の解除方針を示していたが、町議会や町民から「生活環境の整備が不十分」との反発が強く、無料バスの運行本数拡大など「追加支援策」の準備を理由に約1ケ月間遅らせた。
町民の間には水道水源のダム湖に高濃度の放射性セシウム1万5000ベクレルキログラムが沈澱したまま解除されることへの不安が強いが、高木本部長は伝達後の記者会見で「安心は心の問題だと思う」と述べ、町民の間に不信感が高まっている。
●東京新聞記事
この高木本部長発言に町民は反発を強めている。
帰還に向け住宅再建終えた60代男性は
「帰る気持ちが失せる発言だ。住民の自己責任だと言うつもりだろうか」と批判した。
50代女性も「古里に戻りたいという気持ちを理解できるのなら、あんな発言は出てこない」と話した。
(引用終わり)
●新たな自主避難者をつくる
先行して一部避難指示解除地域、(田村市:2014年4月解除、賠償:慰謝料10万円は1人当たりは12年8月に打ち切り)、(川内村:14年10月解除では、自宅等に戻る人には90万円:1人当たり)が支給されたものの、帰還者は自己判断と自己責任にて帰還を強いられていることから、同じ家族の中でも、戻る家族と戻らない家族もいるなど、同じ家族間「血縁間」の関係性や地域の関係性「地縁間」の歪みが強烈に発生している。
●田村市都路地区では57%、川内村では59%の住民が帰還。
早期帰還賠償の支払い実績は、240名。
今回の避難指示解除は、年間線量50ミリシーベルト以下の全ての対象地域(1市4町1村)であり、避難解除に当たっての対象地域の住民の約半数が「戻らない」との意向をメディアのアンケート等で示している。
特に子どもを持つ若い世代の帰還率は低いことで、帰還するのは比較して高齢世代であり、これまでの様に、同じ屋根の下で暮らすことは難しい。
2017年4月からの帰還については、帰還困難地域(双葉町等4町)以外に、国が残す避難者はいなくなる。
一方で、先の住民の意向が示すように「戻らない」と選択した住民は、最後の慰謝料をもって、自主避難者に変わるのだ。
以下次回レポートにつづく

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