特定非営利活動法人 ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより No.88 | 2019/9/12発行

リレー・エッセイ 災害と障害者 第62回非常時こそ支えあえる社会に

昨年は、大阪北部地震に西日本豪雨、そして台風と災害続きの年でもありました。
私は生まれつきの聴覚障害者で、高校を卒業してから一般企業で働いてきました。
色々な企業で働いてきたものの障害者差別にあい、たくさんの人がいるところで働くことがしんどくなりました。元々、車の運転をすることが大好きだったのでトラックの運転手になりました。運転手として働き始めてから2ヶ月くらいして、夜中も走り続けた1995年1月17日未明、西宮周辺で「今日のお月様は変な色やなぁ。さぁ早く帰って寝よう」と思った瞬間、道路が波打つかのようにグネグネし始めました。やっぱ今日の私って疲れてるかもと考えた瞬間、ハンドルがクルクル回りはじめて、もう必死にハンドルを握りしめたものの、電信柱に追突しフロントガラスはめちゃくちゃに。何が起こったのか全く分からず、パニックになってしまいました。
フロントガラスで頭をケガし、車の前方がつぶれたので会社に謝罪の電話しようと思い、公衆電話を探しましたが見つかりませんでした。補聴器をつけている私はボリュームをあげることが出来る公衆電話しか使うことが出来なかったからです。
当時は今みたいに携帯電話を持っていませんでした。どうしようかと考えていたら後方より救急車。私の横に救急車が停まり、救急隊員が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。「頭から出血していますが病院に行きますか?相乗りになりますが」と言ってくれました。
私は「病院に行きたいけど、トラックがそのままです。私は聴覚障害者なので聴覚障害者用の公衆電話を探しているのですが見つからないのです」と伝えると救急隊員は「分かりました」と言ってトラックの方へ。そして救急車に戻ってきた隊員たちとともに病院へ。救急車の中で「地震」と聞かされました。病院の中は、スゴく混雑していました。
病院の公衆電話も混雑していましたが並んで待ち、私の順番となり、お金を入れて受話器を耳に当てましたが全く聞こえず後ろに並んでる人へ私の耳のことを伝え、代わりに電話してほしいと伝えると「電話できひんのやったら、かけんでええやろ!早よ、代われ!」と怒鳴られました(あのオッさんの顔はまだ覚えてる)。
治療(額を三針、縫っただけでした)も終わり、薬待ちをしていると会社の人が病院に来てくれました。「なんで、この病院が分かったん?」と聞くと、「麗ちゃんが乗っていたトラックのワイパーにこれがはさまれてた」とメモ用紙が。メモの内容を見ると「このトラックの運転手の女性がケガをしていますので○○病院に搬送します」と書かれていました。救急隊員の方の対応の嬉しさとホッとしたのか、涙が止まりませんでした。

昨年6月18日の朝、携帯から地震速報がなりました。
「大阪北部地震」でした。家の中はすごく揺れ、発達障害をもつ娘も大パニックでした。
電気もガスも止まり、水道は濁り水でした。夜も不安になり、子どもたちと避難所に行こうかなと考え、娘に話をしたところ、「奏穂は避難所には絶対に行かない!行けないから」と言ってお布団の中へ。なかなか難しいなと思いました。
西日本豪雨でも、たくさんの雨が降っていて、携帯にもたくさんの災害メールが届き、音が鳴るたびに娘はパニックに。家の前を、パトロールが何かを言いながら通っていて娘が「ねえ!何か言ってる!何て言ってるの?」と聞いてきますが、パトロールが通ったことも分からず、スピーカーからの声は全く聞こえず、答えることができませんでした。娘も大パニックとなり自傷行為を起こし、大変でした。
今、私は月に一度、大阪の大国町にある「NPO法人日常生活支援ネットワークパーティ・パーティ」で行われる「BCP研究会」に参加しています。BCP研究会では色んなことを話し合います。知らなかった情報などがたくさん入り、色んなことを皆で考えます。昨年、BCP研究会主催の一泊体験が箕面で行われました。いい経験だなと思い、娘と参加しました。
娘は環境が変わったり、人が多いところや暗闇のなかではパニックを起こすので大丈夫かなと不安になりながらの参加でした。一泊体験では、停電になった想定でグループワークをやりましたが、どうしよう?でした。
私は、普段、人の唇を読みながら相手の言っていることを理解するのですが、暗闇の中では唇の動きも分かりません。娘が何かを言っているのですが何を言っているのか分からないのです。それぞれ懐中電灯を顔の下から照らしてもらったのですが怪談のようで怖かったのです。体育館でやったので反響もすごく、聴覚障害の私には雑音の洪水でした。いざ、避難所に行かなくてはいけない時はきっと無理だろうなと思える2日間でした。
さまざまな理由で避難所に行けない人は本当に多いと思います。でも諦めるのではなく、どのようにすれば取り残されることなく生きていけるか。安心して避難できるか。今後もこの課題は続いていくと思います。これからも職場の防災会議やBCP研究会などでたくさん考えていきたいと思います。

小谷( こたに )麗子( れいこ )

大阪府箕面市在住。聴覚障害2級。2000年より豊能障害者労働センター専従職員になる。小さいころより厳しい言葉の訓練を受け、今は話すことが大好きでお酒を飲むことが大好きなシングルマザー。息子(高1)と娘(中3)の3人暮らし。

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