特定非営利活動法人 ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だよりNo.87 / 2019/5/12発行

近くて遠きもの「自由」。
その遠きものへのラブコール!

代表 牧口 一二

この通信がお手元に届いてから少し間があるのですが、今年7月6日(土)午後1時30分から、東京・板橋区立グリーンホールで開催される、カタログハウスの学校とゆめ風基金との共催『ゆめ風であいましょう』(六文銭4人の歌とアーサー・ビナードさん・小室等さん・そしてボクの鼎談。挟み込みチラシをご覧ください)共通のテーマが「自由」なので、それにちなんでボクから「自由」へラブコールです(イベント当日のおしゃべりとは異なるかも、ですが……)。

ボクは「自由」に憧れている。生後1年目に足が「不自由」になったせいだろうか、そう思われてはチト困るので、言い訳をする。「自由」にはとても憧れているのだが「健常」になりたくてではない。障害のない人も「勝手気まま」「思い通り」にならないことは山ほどあるだろうから、障害のことを云々してみても仕方がない。ボクが「自由」に憧れるのは、人間として生れた瞬間(どこからか)与えられる「自由」へのラブだ。いかに重複・重度な障害があっても、そんなことに左右されないありのまま状態に与えられる「自由」に恋い焦がれている。どこから与えられたのか、誰からなのか、おそらく「人権」と同じで「自由」は人間が生まれた時から授かっているものだと思う。つまり人間が生きていく上でとても大切な、なくてはならないものだ。「自由」が無ければ生きられぬといっても過言ではない。それほど身近な筈なのに、ボクにはなぜか遠く離れて「自由」があるように思う。
例えばいまの日本で、さまざまな事情から施設で暮らしている障害者は何人ぐらい? とふと考える。よく分らなくてネットで調べてみると、内閣府の2年前(2017年)の障害者白書が出た。施設での生活者は、身体障害者392万2千人の内18才以上5万5千人、知的障害者74万1千人の内18才以上11万9千人、精神障害者392万4千人の内20才以上30万9千人とある(ただし、調査方法が定かでなく他の障害者の扱いなどは不明で、参考程度に留めおく)。合計、ざっと見て48万人を超える人たちが何らかの理由で施設暮らし。いまの日本で施設利用を悪とはとてもいえない。周りの人々との関係も鑑みて、自分のみの「勝手気まま」は許されず、互いに助け合って……がほとんどのようだ。ゆえに、これら大多数の人たちも精いっぱいの暮らしなのだ。ダメなのは為政者たち、ここに大きな難問が横たわっている。
障害者や高齢者の施設とはどのような空間だろう。自分の住まいとは? 人間関係では? 仮に、至れり尽くせりの施設が存在したとして、そこで暮らせる人たちは何の不満もなくなるだろうか。いや、自宅で暮らしても不満はわんさか。要は、自分で選んだ暮らしぶりか、他者に委ねられた暮らしかによって満足度は大きく違ってくる。本人抜きに考えるな!の先の、本人による本人らしい暮らしなのか、どうか。つまり人それぞれの自立度と満足度はウラオモテ。自分が最大に優先されていい。いまの介護保険制度は「安全・安心」をタテマエに、高齢者を「措置から契約へ」との呼びかけとは裏腹に「できない人」にしていく制度だ、と思う。
ボクはまもなく82才、1才の時から自力では歩けない人生を過ごしている。2年半前に48年共に暮らしたツレを亡くしたので1人暮らし。介護保険で何かを手伝ってもらうには、その時自宅に居る必要がある。その制約がイヤで、週1時間だけ部屋の掃除を頼んでいる(この1時間は貴重だ。他者が来ると身綺麗にしたくなる)。そこまで切り詰めても「自由」がほしい。それがボクの暮らし、生きる実感がほしい。食事づくりの失敗は日常(見かねた妹が週1来てくれる。時おり友からの差し入れもある)。下の失禁の後始末・洗濯などけっこう忙しい。何もしていないのに1日があっという間に暮れてしまう感。齢を取るとは、こういうことかを実感。でも、それが暮らしだ。人間の尊厳なんてオーバーだけど、人として人間らしく生きたい。そのためなら「自由」を勘違いして、「勝手気まま」と言われようが「自分の思い通り」を貫こうが頑固者でいたいと思う、いや願う(貫くには軟弱なので)。

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