ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.692015年5月18日発行

震災から4年 被災地はいま

住宅が建ち並んでいた門脇・南浜地区。祈念公園になる計画だ

石巻

2011年3月11日の震災から、4年が過ぎました。「もう4年経ったのか」「まだ4年か」など、人によって感じ方はさまざまです。

石巻市が発表したデータによると、2015年3月現在、復興公営住宅の工事完了率は30%弱、工事着手率は60%弱。既に入居済の住宅もありますが、全戸完成・入居が終わるのは、2017年度末の予定だそうです。住宅を建てる土地が決まるのにも時間がかかりますし、農地だった場合は宅地用に造成する手間と時間がかかります。

仮設住宅から復興公営住宅や新しく建てた家に移る人がいる一方で、経済的な事情で仮設住宅から出られない人もいます。また、せっかく仮設団地でできたコミュニティが引越しをすることで壊れてしまう・引っ越した先で近所に知り合いがいない暮らしがまた始まるとの懸念もあります。実際、昨年に復興公営住宅に入居した一人暮らしの男性が自室で心臓病で倒れ、亡くなってから2週間後に見つかるというニュースが最近ありました。

津波の被害の大きかった石巻市中心部の再開発は徐々に始まりつつあります。一階に店舗や高齢者のデイサービス施設が入る集合住宅の建設工事が数カ所着工しています。ただ、商店街の方々に話をうかがうと、「この場で商売を続けていいものかどうか悩んでいる」と言う声が多いです。震災前から活気がなくなっていた地区なので、その不安はなおさらだと思います。郊外に大型店が次々にできて、旧市街地は衰退するという地方都市によく見られる状況が、震災を機にますます進んでいます。

交通機関は、JR石巻線が3月21日に女川駅まで全線再開しました。また、仙台と石巻を結ぶJR仙石線は、現在は途中の被災した区間を代行バスが走っていますが、来る5月30日から全線再開する予定です。仙台〜石巻間が1時間弱でつながります。

この4年間で変わったこと・ものもありますが、私個人の感想を言えば、ほとんど変わっていないと思います。更地はずっと更地で、工事現場はずっと工事現場です。被災した地域すべてがこの状態であれば、工事に関わる人も車も資材も足りないし、時間がかかるだろうなとつくづく感じます。東京ではオリンピックに向けての工事も始まるでしょうし。

被災地障がい者センター石巻についての話も。センター石巻ができたのは、2011年の10月。あれから3年半が経とうとしています。この3年半の活動を通じて、たくさんの人や団体とのつながりができました。特に、当初から関西の方々からはいろいろなご支援とご協力をいただきながら、研修やイベントを通じて交流してきました。最近では、石巻の障がい児達と関西の支援者の方々との交流も盛んになっています。また、石巻で活動する支援団体との連携・協力も少しずつですが、進んできています。

こうしたつながりを元に、これからも、石巻が誰にでも暮らしやすい街となるよう、活動していきたいと思っています。

被災地障がい者センター石巻 箕田 朗子

2015.3.11撮影。かさ上げが完了し国道工事のための迂回路が出来た。奥に見えるのは防災庁舎。

南三陸

東日本大震災による南三陸町の死者・行方不明者は、関連死も含めて836名(宮城県災害対策本部/平成26年2月末)。震災直前の人口は17429人なので、震災で実に人口の5%近い人が町からいなくなりました。そして、住民基本台帳による宮城県のまとめによると、2015年1月現在の南三陸町の人口は震災前に比べて20%減とのこと。今秋の国勢調査では、住民票を残したまま町を離れている人など実態が明らかになりますが、人口減少は加速、特に働き手世代の減少を肌で感じています。環境的には無機質な宅地造成により、みるみる昔の風景がかき消えており、景色も人も町内の変化は急速です。その一方で、災害公営住宅は2014年8月に最初の入居がやっと始まったばかり。多くはまだ造成さえ完了しておらず、依然として多くの人が仮設住宅暮らしを強いられています。

被災地の住民アンケートでは、この3年で心身ストレスは減少している地域が大半であるのに対し、南三陸町のストレスは増大しています(2015・3・10河北新報)。人口減とストレスの間には必ずしも直接的な関係は見られず、前向きな施策がされている地域では、人口が減っても住民のストレスは緩和されているという結果でした。先の見えない不安の中、日々の生活を建て直しながら、復興の急速な流れについていくには、心身ともに柳のような強さが必要なのです。

NPO法人奏海の杜は、東日本大震災をきっかけに立ち上がった被災地障がい者センター南三陸が前身です。この震災で被災地には様々な分野で支援が入りましたが、その中で地域の課題も浮かび上がってきました。障害者福祉はその代表です。宮城県南三陸町には、震災前には障がい児の日中活動支援の場がありませんでした。震災後にようやく活動の場がいくつか出来たことで、子ども達の心が安定したり、保護者の方が仕事に就かれたりと大きなプラスの変化がありました。これからも町の急速な流れに置いて行かれる人が出ないよう、わたし達はサポートを続けていきます。

不安要素は尽きませんが、復興計画に基づく土地のかさ上げや防潮堤の建築、山を切り開いての造成などは大幅に進みました。東京日本橋に南三陸交流施設ができたり、宮城県内で唯一活動を続けてきた南三陸災害ボランティアセンターの閉所など、新しい町への息吹は確実に聞こえております。先日南三陸町で行われたボランティア感謝のつどいには1100人の方々が全国から集まって下さりました。また、町内の有志が遊休農地を開いて米作りをした日本酒は飛ぶように売れているそうです。変わらぬ温かい繋がりには感謝の言葉もありません。奏海の杜へもいつも温かいご支援をいただき、本当にありがとうございます。人口が減っていることもあり、利用者も支援者も少なく、まだまだ先は見通せません。ただ、どの利用者も困り感は大きい人ばかり。奏海の杜の安定した活動が、利用者はもちろん、地域全体の幸せな生活に繋がると信じて、様々な方法を模索しながら一日一日を大切に取り組んで行きます。これからも何卒よろしくお願いします。

NPO法人奏海の杜 太齋京子

海の町で海を隠す防潮堤

大船渡

被災地に居る私も、まちは復興したのか、人々のくらしはどうか、正直よくわかりません。どの段階で復興と呼ぶのか、どの程度で暮らしが落ち着いたと言えるのか、考え方も人それぞれだと思います。同じ町に住んでいても、同じ家に住んでいても、現状の受け止め方、気持ちや考えなど、違うと思います・・・。

町の様子や変化は報道でも伝わると思いますが、人々の暮らしなどは、被災地の私にも把握しにくいです。町全体の復興に目を向ける機会はそんなにないような気がします。自分たちの住む家はどうしようかなど、まだまだ身近な問題で不安と焦りの中、生活している人がたくさんいます。

大船渡は建築物は増えてはいますが、大手スーパーやホテルは一度建ったものの、今後はかさ上げするようです。壊して、かさ上げして、また建てる・・・復興はまだまだといった現実です。そして、海も見えなくなります。

個人商店は仮設店舗で、客足は減少しています。飲食店も同じです。

学校は、校舎が3年後に建つという中学校がありますが、3年後には全校生徒が100人切ってしまうそうです。勢いを取り戻すことを復興というなら、この先、復興することがあるのか疑問に思ってしまいます。時間をかけても、何年経っても、人口が減ってしまうだけで、復興は叶わなくなってしまうのではないかとも思ってしまいます。水が出て、電気がつき、ガスが使え、買い物ができ、家族で暮す事が出来、学校や仕事に行ける。これですべての人の住む家が定まれば、復興と呼んで良い気もします。まだ復興という言葉は漠然としすぎていてピンとこないくらい、遠いものかもしれません。

この被災地で将来も生活していこうという人たちはたくさんいて、もう家を建てた人もいます。不安を抱えながらもリフォームして被災した自宅に戻る人もいます。公営住宅が決まり、完成を待ちながら仮設住宅で生活する人も、まだ何も決まっていない人もいます。それぞれ経済的な不安、精神的な不安があると思います。自立再建するとなると、それまで自分が健康でいられるのかなど、考えてしまうと思います。

地域社会の繋がりも変わってしまい、集落や部落の繋がりが薄くなったことで、生活する上で、特に人の支えが必要な高齢者、障害者には益々厳しい現実もあると思います。

少しづつ生活が改善されたり、前に進んでも、いろいろな立場で不便なこと、心配事は絶えません。でも、希望や理想を叶えるため、全員が前向きに自分の将来を考えていく事で復興に繋がればいいなと思います。

NPO法人センター123 千葉 一恵

避難してきた障害者事業所の支援や
障害者のサポート活動から見た福島の現状を報告します。

郡山

福島では原発事故の影響で12万人が現在も避難生活を続けています。避難生活の中で「働きたいけれど、働く場をみつけることが出来ない人」、「自分の役割を見失いかけた人」が私たちの交流サロンしんせいに集まりました。

避難前は福祉サービスを必要としなかった方の中にも避難をきっかけに福祉的配慮が必要となった方がいらっしゃいます(福祉サービスを知らなかったケース、避難生活で体調を崩され通院をしているケース、仮設住宅で近隣とのコミュニケーションが取れず孤独となっているケース等)。様々なケースがありますが障がい者手帳の取得には本人や家族の抵抗がある場合が多く、福祉サービスを利用することは出来ません。

また、彼らはお喋りが苦手で仮設住宅の集会所やお茶会にも参加できずにいます。けれど、避難前には自分の役割を持ち、一生懸命に働くことで充実した毎日を送ってきた方々です。避難先でも新しい仕事に就くことを強く望んでおられ、そのような方々が安心して働く場をつくることに力を入れてきました。

チャリティーから一歩すすんだ商品づくり

2014年には、避難の続く福祉事業所を中心に11の福祉事業所(209名)が力を合わせて「魔法のお菓子ぽるぼろん」を作り販売をスタートさせました。「チャリティーから一歩進んだ商品を作りたい」という私たちの目標に日清製粉グループがお菓子作りの技術を、AAR Japan[認定NPO法人 難民を助ける会]が道具やパッケージデザインをご支援くださいました。

弱みを強みにかわったワークシェア

魔法のお菓子ぽるぼろんは、障がいゆえに出来ないこと、避難生活の中で抱えた新たな困難などを乗り越えるため11の福祉事業所が知恵を出し合い、協働で1つの商品つくりを行っています。

様々な障がい(身体・知的・精神)の仲間に加え、ニートやひきこもり、働きずらい仲間も一緒にネットワークを組み、それぞれの得意な仕事を担当することで大量の注文にも引き受けることができました。その結果、6ヵ月で約400万円の売り上げ目標を達成し、故郷を離れ、避難生活の中で失いかけた自信と誇りを取り戻すことができました。

今後の目標

東日本大震災集中復興期間終了(2016年3月)が間近に迫っています。国の公的支援が終了した後も避難生活の続く障がい者や福祉職員が生きがいを持って心身ともに元気な毎日を送るためには、今後、ますます福祉事業所同士のネットワークが大切になってくると感じています。

また、ネットワークの輪は福祉事業所のみにとどまらず、避難先住民や県外の支援者の協力も得ながら、元気で明るい福島に新生してくよう力を合わせてがんばりたいと思います。

JDF被災地障がい者支援センターふくしま 支援員 富永 美保

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