ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.612013年5月17日発行

桜の便りと、ちいさな小石の波紋

副代表理事 河野 秀忠

桜の開花予報が、各地から届く頃、一通の便りが届いた。新潟に在住する仲間からだった。それには、「今年、地元の小学校を卒業して、友だちと一緒の地元の中学校への入学を心待ちにしていた、新潟のういちゃんのこと」が記されていた。ういちゃんは、ボクも面識がある、人工呼吸器を使っていて、とてもかわいい女の子である。ういちゃんが楽しみにしていた地元中学への就学通知が、友だちのところには届いているのに、ういちゃんにはなかなか来なかった。それどころか、町の教育委員会は、遠く離れた『特別支援学校』への入学を勧める始末。ういちゃんの希望はピシャリと閉じられていた。そんなこんなをご両親の同席で教育委員会と話し合った日の夜、「ういちゃんが急逝したのだ」とあった。

ボクは、その訃報を前に呆然とするばかりだった。この国は、何という国なのか、ひとりの幼い子どもの希望と夢を踏みにじって、それでも存在し続ける行政とは、いったい何者の集団なのかと。

そんな鬱々とした気持ちのまま、今年3月の末に、ボクは新潟に向かった。「ゆめ風ネットワーク・にいがた」の招きで、認定NPO法人ゆめ風基金の定期法人総会開催のためにである。代表の牧口と老老介護での道行きとなった。

以前にも書いたように、牧口が電動車イスから、手動式車イスに乗り換えて、ボクが押す役割り。飛行機の窓からは、春浅い日本海がキラキラと輝いて広がり、海の色は、鉛色が続いていた。海の色は、空の色を写すという。この海も、春が深まり、夏になれば、紺碧の光り、輝きを放つんだよなぁと想っている内に、新潟に到着した。

総会には、全国の団体会員、個人会員、役員、スタッフらの50余名が集まり、ゆめ風基金のお金の集め方、使い方を始め、東日本大震災被災障害者支援のあり方などが、和やかな中にも、真剣に議論された。

そも、なぜ総会が新潟で開かれたのか。別に被災地でもないし、被災したのでもない。以前に中越沖地震が起こって、ゆめ風基金も当時は、かなり積極的に動いたけれどもである。実は、新潟には、東日本大震災当初から、原発事故の放射能被害から避難する被災障害者の避難支援拠点が、ネットにいがたの奮闘で、ゆめ風基金も協力して開設され、現在も継続しているのだ。だから新潟なのであった。

なんどもくり返しになるけれど、東日本大震災の被害は、膨大なものがある、その復活には、国家規模の支援が必要なことは、誰の目にも明らかな現実なのだ。ゆめ風基金のようなチッポケな団体の力量では抗し得ることは到底できないことも、また明白なのだ。でも、たったひとりも漏れ落ちない支援の方法があるはずだと、新潟に避難拠点を開設したのだった。

そして、全国各地、各人から寄せられた、心の震災被災支援金は、このような形でも生かされている。ボクたちは、そのような事を続けて行くことがひととして大切なことなのだと、強く想っている。どのような小石でも、川面に投じれば、波紋を広げ、川の流れに乗る。そんな営みが続けられていることを、たくさんの人たちに伝えていきたいと、心から願っている。だからこそ、ボクたちは、小石を集め、小石を投げ続けるのだ。ゆめ風基金は非力です。そして非力だからこそ、続けることに、ひととしての夢を託すのです。

総会、交流会、小室等&こむろゆいコンサートに集まっていただいた方々からは、多くのメッセージをいただいた。ほとんどのひとが、東日本大震災の復興があまりにも遅過ぎると実感しておられた。政府や東電、行政は何をしているのかと。ボクも本当にそう想う。

帰りの飛行機の中で、暮れなずむ下界の景色をボンヤリ眺めながら、ういちゃんの夢を取りあげた行政、震災の中で、夢や希望を砕かれたひとびとを前にした行政、この国に、未来はあるのだろうかと、考えている内に眠り込んでしまった…。

街頭カンパ

2年間毎月、関西の障害者たちによって行われている街頭カンパ活動は今年4月で35回を数え、集めた募金額は3、138,411円となった。のぼり旗の言葉は「東北の障害者仲間が元気になれる日までしつこくしつこく応援します」

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