ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.602013年1月31日発行

リレー・エッセイ 災害と障害者 第四一回

共に生きること

昨年三月十一日、その時、私は福島の福祉センターで会議中だった。何度となく来る大きな揺れに立っていられず机の下に…。息を殺して長い時間に感じられた。「早く外へ出ろ!」という声に我に返り、外へ。見上げると四階建てのビルが上下左右に大きく揺れ、ガラスが割れ、駐車中の車も右へ左へ…。生きた心地がしなかった。

断続的に続く揺れの中を移動したものの、屋根が崩れ家が傾き落下物で通れないところもあった。JRは不通、高速道路も不通となり、帰宅困難者になってしまった。

作業所が心配だが連絡がとれず、今夜の宿を求めホテルへ。停電で真っ暗で、寒い長い夜をまんじりともせず過ごした。翌朝、ようやく電気が通りテレビを見て驚いた。

前夜から職員に何度も電話してもつながらず不安は募るばかりだった。利用者は大丈夫か、私の住む勿来(なこそ)も津波でやられたらしい。町の様子を見ながら食料を探した。でも売っていない。困った。何も食べ物がない。そのうち、いわきの人が「タクシーで帰ろう」と声をかけてくれ、タクシーに乗っていわきへようやく帰ってこられた。

帰り道あちこち大渋滞の中ガソリンを入れ、なこそ授産所へ。古い建物で長い間不安に思っていたので、損害が少ないことにほっと胸をなでおろしたが、相変わらず携帯がつながらない。ようやく職員とつながり昨日の様子を聞くと、脇を流れる蛭田川が海岸よりも上流なのに津波があがってきて水しぶきがぴちゃぴちゃと。慌てて利用者を送ることに。なぜなら授産所は土手より2mも低いからだ。仁井田の「きらきら作業所」障害の重い人が多く、親の迎えを待つことにした。あの大きな揺れに外に出たもの、寒くていられず室内に戻った。この建物は耐震補強工事をすませ、屋根や天井は少し損傷があったが、建物としては安心の場所だった。当日は雪もちらつき、余震の度に利用者は恐がり泣き出す人もいた。停電になり真っ暗な中、寒さの中、みんなで固まって歌を歌ったりおしゃべりしたりと気を紛らわせていたが、余震がひっきりなしに起こる。全員の親が迎えに来て、職員が家路についたのは夜の十一時を回っていた。

三月十四日、二つの作業所に職員と利用者が集まり片付けをすることに。町には食べ物がなく、家にいても食料の確保ができない利用者の顔がそこにあった。また、何度もある余震の度に不安を募らせ、怖いとも言えないでいる利用者の顔を見て、すぐに作業所を再開することを決めた。仕事がなくとも、ここに、作業所に仲間といるだけで安心があるのではと考えたから。「来られる人はみんなおいで!」とボランティアや近所の人にも声をかけて、幸いなことに二つの作業所ともに水道が確保されていたので、みんなに使ってもらうようにした。飲料水を汲みにくる人、洗濯する人、入浴する人、いつも多くの人が集まり昼食はみんなで分けあって、こんなときだからこそ楽しいこともしなくてはとダンスをしたりして過ごした。

この震災は、地震と津波だけならまだ回復の余地があった。しかし、原発事故による放射能の恐怖は大人さえもおびえさせた。まして、知的や精神障がい者は何が怖いのかもわからず、不眠、パニック、号泣など感情の起伏が激しくなり顔を暗くするばかりだった。

五月頃、近所に住むダウン症の人が入所した。津波で家が流されて避難してきたのだ。当初は、余震の度に津波を思い出すのか涙を浮かべおびえていた。どんなにつらい体験をしたことか。

三月十四日の原子力発電所の事故がこの地区を一変させた。外で遊ぶ子どもの姿がない。楽しくはしゃぐ声がない。町が死んだように感じた。

私たちが住む「いわき市なこそ」は原発から60?も離れているが、それでも不安になり避難した人がいた。特に小さい子を抱えた家族が多かった。

しかし、作業所の利用者三十人中、避難した人はたった一家族。職員は十人中三人であった。残る人たちは障がい者や高齢者を抱え、避難することができず、また、避難するゆとりさえなかった。

ようやくガソリンが手に入るようになり周りに目を向けることができた。原発近くの作業所はどうなったか、どこへ避難したかと気になってもどうすることもできないもどかしさを感じた。

六月、少し落ち着いて地元各地を訪ね歩いたところ、南相馬市の施設では利用者は避難所にいられず暗い我が家に戻ったとか、ある作業所では自分たち以外の在宅の障がい者の安否確認をと行政に情報を求め、緊急時対応として開示を受け、自分たちで(若い職員が避難した人手不足の中)障がい者を見つけては「居場所作り」をやり、多くの人の支援をしたなどの話を聞くたびに頭が下がる思いがした。

ようやく元の生活に戻ろうとした四月十一日、直下型地震が起き「3・11」では無事だった建物も大きく損傷していた。震源地は私たちの住む錦町。表現しようのない恐怖に襲われる。しかし、この頃から支援物資が届くようになり、全国から義援金が寄せられ、励ましの言葉も頂き、どんなに私たちの心を救ったか知れない。

あれから一年九ヶ月。振り返ってみると、障がい者と手を取り合い苦難を乗り越えてきたつもりだったが、実はこの間、利用者の「明るさ」に救われていたのは私たち健常者だった。共に生きることの大事さを学ばせてもらった思いだ。

高村(たかむら)トミ子(とみこ)
特定非営利活動法人なこそ授産所理事長。「3・11被災者を支援するいわき連絡協議会」監事。なこそのおっかさん的存在。

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