ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.462009年9月10日発行

岩手宮城内陸地震から1年。
助け合える関係が大事です。

伊藤葉子

ゆめ風基金の皆様こんにちは

昨年の「岩手・宮城内陸地震」の際には、思いがけずハンズさんを通じご縁を頂き、地震見舞いまで頂戴いたしまして、ありがとうございました。

お陰さまで、大きく壊れたところの改修は終わり、崩落で使えなかった水も市水道へと変え、日常的には落ち着いた生活を取り戻しております。

今年も、九州の方で豪雨による洪水など大変な自然災害が発生し、命を落とされた方もおられるようで、心よりお見舞いとご冥福を祈らせて頂きます。

初めに、家のあかねの紹介をさせていただきます。

あかねは、平成2年染色体異常の為、肢体に奇形と心臓にファロー四徴症という病気を持って生まれました。今も話すことも歩く事も出来ませんが、酸素を使いながらも元気に自宅で暮らしています。

そのあかねも、今年無事一関の支援学校を卒業することができ、現在はハンズ生活介護事業所「わぁははクラブ」に毎日通っています。

地震の時、私は、一人車中で信号待ちをしていました。突然、今まで体験した事のない大きな揺れに、何が起きたか分かりませんでした。急ぎ家に連絡しても、携帯は通じず、帰ろうにも道は土砂崩れで通行止めになっていて通れず、迂回路を通りやっとこ自宅に戻ることができました。

家では、土曜日で家にいたお父さんと息子が、あかねを外まで運び出し、車の助手席に避難させていました。玄関に入ってみれば、扉が倒れ車いすやらその辺いったいガラスの破片が散らばり、今まであかねが横になっていただろう場所には、14型テレビが転がっていて、同じ部屋にある仏壇は、ギリギリのところで前倒れになるところで止まっていました。

伊藤葉子さんと車いすのあかねさん、その後ろには畑が広がっている
伊藤葉子さんとあかねさん(一関市の自宅前で)

外は、消火栓が破裂し、水が勢いよく出ていました。慌てて水道を出してみると一滴も出ません。車中は熱くなるしあかねを横にしてあげる場所もなく、連絡はとれませんでしたが、ショートステイに行くはずだった平泉にある施設に向かい、車を走らせました。施設では快く預かってくれましたが、一晩泊めてどうなることではなく、市役所にお願いし、急きょ短期入所のサービス支給量を増やしていただき、一週間避難させてもらいました。とりあえず、あかねだけ避難させた私達は、2.5キロ離れた小学校に給水車が来ていると聞き、水をもらいに行きました。でも、次の日から給水車は来ませんでした。その間にも山が音立て下から突き上げるような余震が続きました。今度は、田植えして間もない田んぼに、長くひびが入り陥没する部分も出てきて、応急処置をしないと苗が枯れる事態になりました。毎日汗だくでも風呂にも入れず、夜は余震で眠れず本当に辛い毎日でした。一人家族から離れ暮したあかねも情緒不安定だったそうです。

その後も、暫くは近くの屯所に水汲みに通いました。風呂は、壊れた風呂桶を外に出し、外の釜戸に何度も水を入れながら湯を沸かし入りました。これは一か月続き、雨の日は入れず、温泉に行くにも費用はかさむし遠いしで、この頃には疲れ切っていました。あかねは、地震後一週間で施設から自宅に引き取りましたが、今度は土砂でせき止められている川が、いつ決壊するかわからない為、避難の放送がなったら逃げる準備をするようにとの知らせが来ていました。荷づくりはしましたが、水の流れは速いものだし、80近い母とあかねの二人を、私ひとりで運び車に乗せるのは無理があるので、半ば諦めた日々でした。

一年前を振り返えってみますと、本当にたくさんの方々に支えられて乗り越える事ができたと思います。地震後、危険な状態にもかかわらず飲み水やインスタント食品を買い込んで届けてくれた友達、心配して様子を見に来てくれたハンズさん、電話やメールで励まして下さったみなさんに本当に感謝しています。

災害は、いつどこにやってくるかなんて分かりません。自分達で常に準備しておくのはもちろんですが、日頃から人と人とが係り合って、自分達を理解してもらい、又、相手をも良く知り、助け合える環境をつくっておくのが大切だと感じました。まだまだ地震の傷跡の修復がありますが、家族怪我もなく一緒に暮らせるのが一番ありがたい事だと思います。

ゆめ風基金様、そしてゆめ風基金を支援している皆様、あかね一家を助けてくださって、本当にありがとうございました。

支援を受ける側が司令塔になろう!危険地域の当事者として何をなすべきかを問う日々

ゆめ風ネットきくがわ 溝口千津子

8月11日午前5時7分、私の住む市は震度5強。58歳の私、初めての体験。

揺れていた時間は、15秒ぐらいだと思うが、思わず「アー、アー…」って低い声で叫んでいたような気がする。本棚からビデオテープが10数本落ちる音を聴きながら。

それから、冷静さを取り戻し、別室で寝ている母に向かって、「こっちは大丈夫だから、こなくていい。」と声をかけた。揺れが収まり、まずは、出入り口の確保が大切と思い窓を開けようとしたら、するすると…。サッシの鍵が壊れて床に落ちていた。

30分後、近所に住むヘルパーが駆け付けてくれた。嬉しかった。心強かった。その後、7時前には市福祉課の訪問があった。なんせ、高齢の母と身動きできない状態の私と弟の3人暮らし。訪問してもらえたことがこんなに嬉しいとは…。

ところで、被害ってすぐには判らず、後から後からでてくる。屋根瓦のズレもお向かいさんが告げてくれた。やがて、近所でも数軒にブルーシートが。同じ市内でも、場所によって随分被害の大きさが違うようだ。

それから、その日は1日中問い合せ等で日が暮れた。近隣の当事者達に人的被害は無かった。物的被害もさほど大きくなくほっと一息。ところが、単独で避難ができない状況がリアルになったり、一人暮らしだったりで、不安に駆られPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状を訴える仲間もあった。その恐怖感は「東海地震」へと続き、100倍とも200倍とも言われている「本番」に刻々と近づいていると思うストレスと重なり、増幅しているのだろう。また、ご近所や仲間とのネットワークをあまり持っていない状況にある当事者程、精神的なダメージを受けやすいと確信した。

仲間同士で気持ちを受け止め、支え合う重要性を認識し、更に行政や周囲の人たちへの働きかけ等も積極的に行う必要性を感じる。行政の言う「災害時要援護者」の立場に自らを置き受け身になる必要はどこにもない。逆に、支援を受ける側が司令塔となり避難方法や避難所での生活に提言をしていく方がより減災につながるのではないか。ただ、そのためにも、日頃から避難方法のシミュレーションをしたり、仲間との情報交換をすることが大いに役に立つと思われる。

「地震列島」の中でも、とりわけ危険地域に住む当事者として、今何をなすべきかを問う日々を送っている…。

溝口千津子
1950年静岡県菊川市に生まれる。26歳で、交通事故により、頸髄損傷(C-4)を受ける。現在は母と弟との3人家族。365日ヘルパーを入れ在宅生活を送る。NPO法人COCO理事長。

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