ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.202002年10月26日発行

リレー・エッセイ「災害と障害者」を始めます

今号から「災害と障害者」をテーマにエッセイの連載を始めます。第一回は【ゆめ・風基金】発足時からの事務局スタッフで東京在住の翻訳家、二日市安さんにお願いしました。二日市さんは1960年当初からの障害者解放運動の草分け的存在です。なお、このエッセイはリレー式に呼びかけ人、賛同人に執筆をお願いしていこうと考えていますが、会員からのご投稿もお待ちしています。「災害と障害者」への思いをぜひお寄せください(原稿料をお届けできなくてすみません)。字数は1800字前後です。『ゆめごよみ風だより』は3〜4ヶ月間隔で発行していますので、とくに締切りはなく、原稿をいただいた順に掲載いたします。

リレー・エッセイ 災害と障害者 第一回

一九四五年七月九日夜の「災害」

空襲による被害を「災害」と呼ぶべきかどうかは議論の分かれるところだろう。地震あるいは洪水による被害は、むろん行政の怠慢や認識の誤りによって拡大されることはありうるものの、基本的には自然対人間の関係であり、空襲やテロなど人間対人間の敵意もしくは悪意によってもたらされる被害とは根本的に違っている。

昭和十九(一九四四)年末期から翌昭和二十(一九四五)年八月にかけて日本本土と日本の一般市民は空襲の標的となった。空襲の指揮ないし指導にあたったのは、アメリカの軍人カーティス・ルメイという男であったことまではっきりわかっている。このルメイはその後日本の航空自衛隊の育成に功績があったと言う理由で天皇から勲章を授けられている。ひとつの国土を焼き払っておきながら、その国土の代表者から勲章を授けられたのは、おそらく世界の歴史上このルメイぐらいのものだろう。わたしたちの家はこのルメイの指揮するボーイングB29の投下した焼夷弾によってきれいに焼き払われた。

この焼夷弾の猛威に対してわたしたちは何ひとつ防御の手を施すことができなかった。その意味では、地震や洪水と実質的には違いはなかった。だからやはりあれは「災害」だったのだろう。

一九四五年七月九日から十日にかけてのその災害の夜のことをわたしはその後何年もたってから次のように記録している。

数え年十七歳の脳性麻痺者であるわたしと、小学校二年だった下の弟とが、このとき生き延びることができたのは、わたしたち二人の入っていた小さな木造の防空壕に、たまたま直撃弾がひとつも命中しなかったという偶然のおかげだった。壕の周囲の地面には、太い茶筒のような形をした油脂焼夷弾が幾本も突き刺さって火を噴いていた。油脂の飛沫で壕の入り口の踏み板がめらめら燃えていた。わたしたち二人はそれを踏み消して壕の外に脱出したのである。

防火にあたるつもりで家の中に残っていた母と兄もやはり偶然のおかげで生き残った。焼夷弾が落ちたのが中庭ひとつ隔てた隣の部屋だったという偶然だった。母と兄はかすり傷ひとつ受けず屋外に脱出し、裏の空き地でわたしたちと一緒になった。

わたしたち四人は空き地に立って、自分たちの家が燃えていくのを黙って眺めていた。最後の棟木(むなぎ)が激しい音響とともに焼け落ちたとき、弟が小さな声で「これでもう焼けるものはなくなったね」といった。

実際、その夜から以後わたしたちは、空襲警報のサイレンを聞いても、もう家や家財の焼ける心配をする必要はなくなった。心配の対象として残ったのは、防空壕に入れたわずかな衣類その他と、自分たちの体だけだった。

夜の明けるころ、中学生として母校の防火活動に従っていたもうひとりの弟が、無事に帰ってきた。家をなくしたわたしたち一家の人数は、この弟を加えて五人だった。

わたしの記録はこのあともなおつづく。焼け出された一家五人が、わずかに焼け残った隣人の家に同居したこと、主食代わりの生煮えの大豆のためにわたしが大腸カタルに罹って死にかけたこと、小康を得たわたしが猛然と読書欲をそそられて英語の勉強に熱を上げたこと、わたしたちの街のすぐ北にあたる大阪が空襲によって炎上するのを呆然と眺めていたこと、八月十五日正午に始まる天皇の終戦の玉音放送を聞いたことなどである。

こうして書いていくと、何もかもが当時のわたしたちの力と知恵の及ぶ範囲外の出来事だったように思えてくる。やはりあれは「災害」だったのだと納得するほかないのだろうか。

二日市ふつかいちやすし
一九二九年兵庫県西宮市生まれ。小学校卒。英米文学翻訳家。六〇年以降、各種の障害者運動に参加。現在「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人の一人。著書『私的障害者運動史』『逆光の中の障害者たち』歌集『沈め夕陽』訳書『パンドラの匣』『十六分署乗取り』『爆撃機』、他多数あり。

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