ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.132000年6月4日発行

台湾調査に参加して

西島慎二

今回、大阪の障害者当事者代表で訪台した西島慎二です。まず、簡単な自己紹介をしたいと思います。普通の小・中・高校で育ち、大学の時に部落解放研究会に入り、部落問題を勉強し、他の人権問題も勉強する。それがきっかけで自分の問題(障害者問題)に気付き、その年に大阪で全国障害者解放運動連絡会議(全障連)大会があり、友人と実行委員会に参加し、学生実行委員長に任命される。他にもスウェーデンの福祉やアメリカの人権問題を勉強し、人権擁護運動をしていた。大学卒業後、一般就職するが体力がついていかず辞め、知人に「のんきもの」という作業所(大阪市内)を紹介してもらう。今は、「のんきもの」と地域(吹田)で自立支援センターのスタッフをしている。

「のんきもの」の開所日の前に阪神大震災が起き、開所日が延びた。当時は全障連の事務所も兼ねていて、そこが救援本部の事務所となった。私もそこに週に3日ぐらい手伝いに行っていた。そこでは、ほとんど電話でのボランティア受付や通信の発送を手伝っていて、そういう生活が3月まで続いていた。4月からは救援本部の事務所が他の所に引っ越し、作業所にもどった。

阪神大震災の時、大阪で救援本部を手伝っていたことや人権擁護運動に携わっていた関係で、障害当事者運動の代表として台湾へ行かせていただくことになった。

地震のことや障害者団体を取材して感じたことを何点か書く。まず、地震のことについて触れておきたいが、埔里・集集に行って恐ろしさを感じた。埔里では市役所が潰れるなどすごさを感じた。2点目はバリアフリーが進んでいないことだ。肢体・視覚・聴覚障害者・知的障害者は町には見られなかった。障害者にとってやさしい街にはほど遠いと思う。障害者には移動しにくい施設があった。制度的に見ても進んでるとは思えないし、意外と制度を使っていないと感じた。3点目は自主的な当事者団体の活動の場が少ない。例えば、大阪であれば作業所や自立生活センターがある。台湾ではそういう話は少なかった。当事者団体のパワーと行政の支援がまだまだなんだろうか。短い期間の訪問でつかみ切れないことだが、日本の30年〜35年前の状態に似ていると感じられた。

最後に、いろいろインパクトに残る訪台であったが、障害者団体や地震を取材して勉強になることがたくさんあった。スタッフ・通訳の皆さん、本当にありがとうございました。

台湾の障害者が置かれている状況

羅世玲

天災、特に最近世界各地で頻発している地震が起こる度、人間の力の無さ、いのちの脆さを感じてしまいますが、と同時に大災害を通し、人と人のつながり、支え合う暖かさ、共に生きる強さをも感じます。

9月21日の早朝、友人の電話で台湾中部に大地震が起きたことを知りました。その後、テレビに映る画像を見る度、信じられない、人生は次の瞬間、何が起こるかわからないと感じました。4年前、阪神大震災後、台湾に帰省した時、もし台湾にもそのような大きい地震が起きたら、皆は秩序よく、食料品をもらうだろうか、台湾の建物は全滅でしょうねと友人と話していました。その時、誰もこんな大地震が起こるとは思いもしませんでした。

地震の2日後、「ゆめ・風・10億円基金」から、台湾の障害者についての問い合わせがあり、「近く隣の国ですから、力になれることがあれば」とおっしゃいました。国境を越えて、窮地にいる障害者を助けようという心の広さと暖かさに私は胸を強く打たれました。そこで、台湾の障害を持つ友人や知人に連絡を取りましたが、障害者の情報はほとんど入りませんでした。いったい、障害者達はどうしているの、というのが実感でした。

そんな中、「ゆめ・風基金」が調査団を派遣することになりました。重度の障害を持ち、足手まといになりかねない私は、悩みに悩んだ末、同行をお願いしました。快く受け入れていただきましたので、11月16日、福岡空港から発った私は台北空港で八幡様と南様と落ち合い、台中に向かって西島様と合流しました。

翌日、彰化にある肢体不自由児の養護学校を見学しました。小さい時からよく聞いていた、台湾唯一の肢体不自由児の養護学校です。校門を入ると広い敷地に立派な建物が建っていて、校長を始め、教務主任など先生方が大勢で迎えてくださいました。設備は整っていて、少人数の教育を実施していますが、重度の生徒も訓練によって食事介助がいらなくなるという話には何か違和感を感じました。午後は台中市役所の訪問で、台中市には1万8千人の障害者がいるそうですが、地震後、援助を求めたのはたったの3件だったと聞きました。もっと多くの申し出があると予想していたがと役所の人が言いました。どうしてだろうと疑問を抱えて、次の訪問先に向かいました。

太平市の被災障害者荘様のインタビューでした。荘様の隣近所は全壊の家が多く、死者がかなり出たそうです。荘様の家も取り壊されて、今は何もないさら地になっていました。仮設住宅は入り口が狭く、車いすが入れず住めませんが、政府は友達か親戚に頼れと言い、何もしてくれません。夫婦2人は山にある、水も電気もない友達の家に住んでいます。政府は何もしてくれないという荘様の言葉が、心底からの悲しい叫び声のように感じました。

次の日、さらに被害がひどい南投県プーリーの脊損聯合会の南投支部を訪問し、脊髄損傷者に会いました。政府も救助で忙しいからと行政に理解を示し、政府を当てにせず、協会の今までの蓄えを出して、自分達の力で会員の救援をおこなっています。会員の一人は「地震で皆が苦しい思いをしているから、自分達ばっかりが苦しい、苦しいと言ってはいけない」と話しました。壁にあちこち大きなヒビが入っている事務所は、修繕する予算がないため、強い余震が起こって、危ない時は外に逃げながら、半年は使い続けると会長は言いました。これが現状なのかと心が痛みました。

最終日の訪問先は、短期間に、厳しいしつけで知的障害者を再教育して、社会に送り出している心路基金会と、台湾全土に支部をつくり、海外まで拡大したEDEN基金会でした。

短い期間で数々の場所を回り、様々な人の話を聞くことができました。それでも、障害者の姿や存在が浮かび上がらない感じがしました。どうしてでしょう。障害者達は政府に対して、あきらめていて、何も言わなくなっているのでしょうか。障害がある自分にすべての責任があるから、現状を受け入れなくてはならないと自己抑制し、主張する権利がないと思っているからでしょうか。それとも、話によると、阪神大震災の時、神戸の障害者達も明るかったそうですから、大災害の後、人間は悟りを開くのでしょうか。

今度の震災で日本の方々から多くの支援をいただいたということは、台湾旅行中よく聞いた言葉でした。国境を越えて、援助の手を差し伸べてくださったことに、心より深く感謝の意を申し上げます。そして、この震災を機にして、台湾の障害者達が日本の障害者運動に触れ、日本の障害者との交流を通して、自分達の権利や存在を主張する事ができるようになればと祈りたいです。

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