ゆめ風基金

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ゆめごよみ風だより

No.132000年6月4日発行

台湾大地震 被災障害者支援のご報告 6障害者団体に被災地障害者センターと共同で計220万円の支援

事務局 橘高千秋

前号でお知らせしましたように、【ゆめ・風基金】は被災地障害者センターと協同で台湾大地震の被災障害者を支援するために、11月に被災障害者の状況とニーズについて現地調査しました。台湾はノーマライゼーションの考え方や障害者運動が弱く、障害者の生活は家族介護に頼った在宅か、大規模集中施設かのどちらかしかなく(日本もつい最近までそうでした)、地域拠点も少ないので、情報を収集するのはなかなか大変でした。その中で、学校、施設、民間団体、役所など12ヵ所を訪問調査し、帰国後検討した結果、下記の3団体を支援の対象にすることに決め支援金を12月26・27日に直接お渡ししました。障害者のみなさんは「日本から暖かい風を運んでくれた」「日本の障害者運動と交流したい」「当事者運動を広げていきたい」と力強く語っていました。また、草の根ろうあ者こんだん会を通じて3つのろうあ団体に計55万円の支援金を送りました。支援金のうち10%は被災地障害者センターが分担しました。なお9月27日に始まった台湾救援カンパは12月末で1,128,856円に達しました。差額は基金から補充しました。

  1. 南投県脊髄損傷者協会(埔里)に事務所補修費として55万円

    台湾で当事者運動として組織的に活動している数少ない団体。埔里は震源地に近く被害の大きな地域で、会員たちは地震直後から安否確認や救援活動を行った。普段から 障害者の相談や制度紹介、仕事のあっせんなどをしている。会員数150人。

  2. 南投県私立憫恵教養院(竹山)親をなくした知的障害児の支援活動に55万円

    障害別タテ割分離政策の中で、地域を軸に労働をも視野に入れた知的障害児者の教育生活施設。地震で親をなくした知的障害児を受け入れ生活保障している。

  3. 伊甸(EDEN)社会福利基金会・南投市被災者支援センターの活動に55万円

    台湾で最も大きい障害者福祉団体。15年前に障害者の作家が私財を投じて設立。障害者の福祉と自立を援助する活動を行う。20の支所があり相談、教育、職業指導、福祉機器提供など幅広い活動を行っている。全職員400人の内4割が障害者。被害の大きい南投市に設置した被災者支援センターの障害者・高齢者プログラム(相談、情報提供、ボランティア養成派遣ほか)に対して支援金を送る。

  4. 台中県ろうあ福利協進会・台北市ろうあ福利協進会・中華民国ろう人協会の活動に計55万円

なお、今回の調査にあたりましては、通訳、翻訳、連絡、現地調整、運転・Tシャツ提供などで次の方々に大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。

羅世玲さん、羅さんの友人林栢芬さん・林連映雪さん・蘇長棋さん・李素偵さん、紀恵珍さん、被災地NGO恊働センター、100番目のTシャツ。

調査レポート 1999年11月15日(月)〜19日(金)

八幡隆司

調査員4人揃って

調査員

  • 西島慎二(すいた自立支援センター・ねばーらんど)
  • 羅世玲(九州大学大学院人間環境学研究科研究生)
  • 南純子(【ゆめ・風基金】事務局)
  • 八幡隆司(同上)
行程
11/15(月) 11:00 (財)向上兒童福利基金会付属台中育嬰院(養護施設) 台中市西區樂群街
14:30 (財)魏呉雙雙啓智紀念文教基金会付属十万啓能中心(知的障害者施設) 台中市東山里横坑巷
11/17(火) 10:00 彰化仁愛実験学校(肢体不自由児養護学校) 彰化県和美鎮鹿和路
14:00 台中市役所社会局社会福利課 台中県太平市
17:00 脊髄損傷協会 荘 賜壽さん 台中県太平市
11/18(木) 10:00 (財)南投県私立憫惠教護院竹山分部(知的障害者施設) 南投県竹山鎮
14:00 南投県脊髄損傷協会 南投県埔里鎮
11/19(水) 9:15 (財)心路社会福利基金会心路寛寛洗衣坊(知的障害者施設) 台北市吉林路
10:45 (財)伊甸社会福利基金会台北本部 台北市光復北路

台湾は、日本の侵略下におかれていた時代もあって、年輩の方は日本語を話せる人が多いと聞いていたが、実に友好的な接し方をしてくださることが多かった。面積は九州ほど。人口は2千万人あまり。障害者は約100万人、高齢者170万人以上で1割が独居。1元は約3、5円。経済成長率は6.8%。パソコン産業が盛んで国民の3人に2人がパソコンをもつという。行政権限の多くを台湾省(中央政府)が担っており、地方分権は弱く、県や市は台湾省の事務の委託機関であることがほとんどのようだ。行政の対応は現金給付をはじめ阪神大震災の時よりはるかに対応が早い(10月はじめに全壊約20万元、死亡者には100万元の見舞い金が配られたという)。ただ、障害者の支援策については緊急時に有効な対策がとられていないようだ。

台湾の福祉事情について

報告の中でもふれているが、台湾の障害者福祉は、未だ隔離・収容主義が中心で、障害者に対する見方も、健常者に近づくためのトレーニング中心である。

台湾省では、障害者別に23の施設建設を計画しているが、身近なところでサービスを受けることができることを希望する親も多く、知的障害者施設は民間で次々と建設・運営されていることが多いように思える。ただ、日本の「福祉法人」と違い、台湾での「福利基金会」が運営する施設に対する台湾省の補助は3割程度で、運営費のほとんどを民間の寄付で集めるなど、自前で調達しなければならない構造になっているようだ。また家族・親戚のつながりが強いためか、公的なヘルパー利用をする人が非常に少ない。

省が福祉対象としているのは、低所得者の障害・高齢者のみであることから、家族の収入が一定あると、福祉制度を受けられないことが背景にあるからかもしれない。いずれにしても先天性障害者の運動がどのような形であるのか、今回の調査でははっきりとつかむことはできなかった。ただ今回の訪問対象地域になっていない花蓮県に、先天性障害者を含む「身体障害者協会」のようなものがあるという情報を得ているので、今後機会があれば、そこの代表者等に、台湾の障害者政策に関する情報を教えてもらいたいと考える。

他にも障害者関係団体の名簿をいただいているが、名簿を見る限りでは知的障害児の親の会がかなり多いように思える。

今回の訪問で感じたこと

障害者の自立・権利運動が、どのように日本で進んできたのかを改めて考えてしまった。

日本でも、施設による隔離が福祉の始まりであり、そこからの障害当事者の反発が、「青い芝の会」のように、障害当事者の権利運動のきっかけとなっていると思える。また自立生活運動は、アメリカのIL(自立生活)運動の影響を強く受けている。

このような状況が台湾で果たして当てはまるのかどうかを考えると、家族のつながりの深さや台湾独自の文化形成を大切にしていること、また対中国との関係から、台湾省の統制(軍事力を含めて)が強いことなどの材料から判断して、権利運動、自立運動が生まれにくいのではないかと思ってしまう。

ただ市民の権利意識は強く、自由経済の中で自分たちの不利益が起こることに関しての団結力が強いと聞くし、民間による基金活動も活発であることから、経済成長がこのままうまく続けば、民間の中から権利運動が広がっていく可能性は考えられる。

いずれにしても、その場合の日本の役割が非常に大きいのではないかと私は思う。アジアの土壌中では、北欧型の福祉はどうも生まれにくい気がするので、日本型の福祉制度をまねた福祉が台湾の中に生まれるような気がしてならないのである。

確かに日本では、障害者の権利運動、自立生活運動は広がっているが、体制から見ればそれは少数である。日本の福祉の体制は、福祉法人を中心とする施設主義であり、その意味では台湾の現在の福祉と大差がないと見られる。

今後日本の障害者と台湾の障害者が直接出会い、様々な話を展開することによって、流れは変わることがあるかもしれないが、現在の台湾から日本を見ても(政府レベルなど公的な交流の中では)、おそらく障害当事者の活動はほとんど見られず、日本をまねればまねるほど、ひどい福祉構造が広がっていくのではないかと心配する。

このような意味から、現在の台湾の福祉をどう見るかということより、「私たちが今後台湾の障害者仲間とどのように交流を深めていくか」ということに、今回の訪問の大きな意義があったのではないかと考える。

今回の訪問は、台湾の被災障害者の支援が直接的な目的ではあるが、単にこれが台湾への支援にとどまることなく、これをきっかけに日本の障害者と台湾の障害者の交流が深まることを心から願っている。

支援対象団体紹介取材ノートから

南純子

南投県脊損協会荘賜壽さん

更地のような自宅跡…

荘さんの自宅跡で取材をするスタッフ

荘さん夫妻(右)と語る羅世玲さん(左)。羅さんと介護者が着ているのは神戸NPO「100番目のTシャツ」から頂いたバリアフリーTシャツ。連帯の証として、台湾の被災障害者にお渡ししました。

夜、トイレに起きた直後に被災し弟に助けられた。家は全壊し裏の野菜畑に避難した。家族はみな無事だったが、お隣の10人は亡くなった。荘さんにお会いした場所は自宅跡だが、山間から自宅上を通った断層の爪痕が更地となって残っていた。まっすぐだった向かいの道も隆起し、並んでいた民家も山の傾斜部分に建てられたように一段盛り上がり、前に押し出された家屋を避けるように、瓦礫を運ぶトラックが何度か行き来していた。住むところがなくなり、部屋探しには苦労した。仮設住宅は8坪しかなく、入り口が狭くて車いすでは入れず、アパートを探すが、階段が多く生活困難。結局、友達の山の家を借りて住むことに。電気も水道もなく、充電式の電気と、奥さんが毎日水くみをして生活している。

バリアフリーの運動はしているが、政府の対応は表面だけで何もない。震災前に全国を車いすでまわる運動をしたり、電車に車いす対応列車を設ける運動をした結果、1日56便中、1便だけ運行するようになる。また、1年間交渉の末、車の税金免除(タクシーに限る)を実現したが、他に要望を出しても受け入れてもらえず、近々協会で署名活動を計画している。

憫恵教養院委員長 林宜蔚さん

委員長に支援金をお渡しする牧口事務局長

南投懸には知的障害児者の教育の場がなく、遠方の施設へ行かなければならない為、教育から就労までできる施設を1993年1月に開設。メンバー80人中12歳以下は14人。重度障害者の施設25人。18歳から60歳までが就労する農場に41人。4階建ての建物は壁にひびが入り修復が必要だが、障害児を持つ親の生活も被災で厳しくなったことや、地震で親をなくした子供を無償で引き受けた結果、経営が難しくなる。省の緊急補助も12月までで、なんとか寄付金で運営費をまかなうものの、状況は厳しい。

南投県脊損者協会埔里

皆で記念撮影

プーリーの脊髄損傷協会前で

台湾大地震の震源地に近く、会員数150人中、家屋全壊24戸、半壊11戸、死亡5人と、大きな被害を受けた。震災直後からリフトつきバスで、物資を運んで救援活動をしたり、被災会員に見舞金を渡すなど、会員同士の連携は驚くほどとれていた。もともと政府補助がないので運営費は募金とイベント収入でまかなっているが、その運営費を見舞金にあてたため、これからの活動に支障をきたしていると言う。事務所も壁やシャッターが崩れ、安心して仕事ができる状態ではない。半壊認定されれば10万元の公費補助がある。

家が全壊したメンバーは仮設住宅は狭くて動きがとれないので友達の家やテントで避難生活を送っている。中にはコンテナを自費で購入し、生活している人もいた。半壊の人も、避難している所のトイレは利用不可能で、危険を覚悟でトイレの時だけ元の家へ戻らなければならず、苦労している様子。

自立生活についても、近くに施設がないことと、山間部なので環境整備が悪く、外に出たくても出られないのが現状。

急な訪問にもかかわらず、たくさんのメンバーが集ってくださり、地震が起きたときの状況を詳しく聞くことができた。一貫して言えるのは、家を失ったことはもちろん、精神的にもダメージを受けているはずなのに、悲壮感はなく、家族が無事でよかった、命があっただけよかったと、みんな前向きで明るく、活力を感じた。ただ、今でも余震におびえながらの生活がつづいている。

伊甸(EDEN)社会福利基金會

有名な作家で女性障害者杏林子さんが、ボランティア6人と共に障害者が安心して暮らせるシステム作りを目指して1982年に設立。台湾全土で活動を展開。政府と連携をとりながら運営。障害者カウンセリングを通じ医療ケア、職業リハビリ、生活の場の提供、障害児の親への指導、車いすの設計・製作などの事業を行う。96年から高齢者支援も行っており、反地雷活動や途上国への車いす寄贈など国際的にも活動を広げる。震災後、寄付金が10分の1に減った。

台中市役所 社会福利課課長利坤明さん

台中市役所は地震で全壊。人口93万人(障害者1万8千人)。被害状況は死者113人、負傷者23人、全壊2928戸、半壊2979戸と、かなりの被害だが用意された仮設住宅は100戸。しかし10戸しか利用者がいない。障害者からの苦情も3件しかないとのことで、被害と実態が一致しない。台中市内の障害者施設は4団体ですべて民間。市の年間予算130億元、障害者福祉予算は省からの1億元と合わせ2億元でバラまき福祉が中心のようだ。障害者の雇用については、行政関係は50人に1人、民間企業は100人に1人を雇用しなければならない(一応守られているらしい)。障害者へのヘルパー派遣制度についてはまだ実施していないが、高齢者介護については一ヶ月15時間無料で、経費は省、運営は民間。全体的な印象として、建物などハード面は政府が援助するものの、あとのケアは民間まかせといった感じが強い。

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