福島県郡山市「あいえるの会」より

2011年3月11日に起きた未曾有の東北関東大震災で被災された福島県の障がいを持つ県民を支援するセンターを立ち上げました。
福島県郡山市にある障がい者の生活を支援する「あいえるの会」に事務所を開設しました。
福島県は、地震と、それに引き起こされた津波、原発の事故と、三重に災難を被りました。
被災地障がい者支援センターふくしまでは、福島県内に住む障がいを持つ県民に対してできる限りの支援をしていきたいと考えています。
このコミュニティを見た皆さんに何点かのお願いがあります。
①福島県内で災害のために困っている障がい者がいればお知らせください。
②提供できる支援物資があればお知らせください。
③銀行口座を開設しています。義援金をよろしくお願いいたします。
 口座番号 東邦銀行郡山支店 普通預金 2281907
            被災地障がい者支援センター福島 代表 白石清春
原発から出る放射線量が気になりますが、福島県の復興のために、全身全霊をかけて取り組んでいきますので、皆様方のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。
被災地障がい者支援センターふくしま連絡先
 〒963-8013 郡山市神明町9-1
E-メール officeil@cronos.ocn.ne.jp
fax 024-925-4558
mixiにコミュニティも立ちあげられ、連日の精力的な活動が報告されています。
mixi会員の方はこちもぜひご覧下さい。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5540756

救援レポート30日 河野秀忠

 本日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は3200万円
を越えました。支援された、団体、個人と金額、未定。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、バクバクの会事務局
員、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事の河野秀忠が感じた、救援活動のあれ
これの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由気まま
にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金。とうほくと書いてください。
大震災救援の中のボクの風景。庭の雪柳が真っ白く、満開。桃の花ももう少し
で、咲き出しそうです。まるで人間の困難を嘲笑うがように、季節の時間は、流
れ続けています。
メディアから流れて来る、被災者の話しを聴きながら、まだしゃべり伝えられる
だけなんだけど、亡くなった人たちの無念に、想いを至すと、涙が零れ落ちるば
かりです。
前回お知らせした、メールの中の:NHK文化厚生事業団の評議員会の時間は、無
駄な時間だ:と記したのは、ボクにとってのことなので、誤解無きように。
 昨夜、お知らせしていた、NHK番組放送を終わり、最終の新幹線に飛び乗っ
て、最終の在来線で、牧口さん共々、帰宅しました。みなさんには、ご覧頂けた
でしょうか?
 後日、NHK総合放送で、再放送されるそうです。放送直前にも、東京では、余震
があり、スタジオのライトが揺れていました。ボクも牧口さんも疲れがひどく、
今日は、ふたりとも、お休みしています。ごめんなさいです。
 大震災から、20日目です。まだ20日なのか、もう20日なのかが、ひとりひとり
に問われています。
 昨日は、昼頃に、牧口さん共々、カタログハウスの神尾さんと面談して、雑誌
通販生活での被災障害者救援を呼びかけていただけるように 、話し合いまし
た。神尾さんは、通販生活の担当者で、阪神淡路大震災の時にも、協力していた
だき、6000万円超のお金を、ゆめ風基金に寄せていただいた実績があります。
 それ以後、毎年のゆめ風基金東京イベントでのお付き合いがあります。午後3時か
らは、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんと歌手のゆいさん、車イス制作研
究を、長崎、東京で続けている、光野さんにも加わっていただいて、話しを詰め
ました。神尾さんからは、「誠実に対応して、考えます。5月発売の通販生活で、
第1回目の呼びかけをする」とのことでした。
 その後、牧口さんとボクは、NHKに向かいました。光野さんは、今日から被災地
に向かい、現地の車イス制作仲間のところと、被災地の障害者団体を巡り、状況
を報告してもらうことになりました。小室さんは、7月11日に、新宿全労災ホー
ル で、デビュー50周年記念コンサートを開いて、被災障害者の復興を訴えるそ
うです。NHK放送の前後には、バクバクの会、大塚会長から、メールをいただ
き、励ましていただきました。恐縮です。 
 東京は、放射能、余震、計画停電などのことで、パニックのようです。話題が
すぐに、そちらの方に向かいます。街は、節電のために薄暗く、人通りも少な
く、飲食店も、多くが、午後9時には、閉店です。電車の本数も少なくなってい
ました。
 がらりと話題が変わりますが、5月14日には、豊能障害者労働センターの被災
障害者救援大バザーが開催されます。午前11時から、市立メイプルホールにて。
 もうひとつ、箕面市の話題。被災地での救援にもある、医療的ケアのことを議
論している懇談会事務局の教育委員会人権教育課の吉田課長が、異動で大阪府教
育委員会に出向になりました。医療的ケア特区申請とか、学校での医療的ケア問
題で、少し影響があるかも知れません。
 今日、ゆめ風基金事務局に、ある新聞社の記者から電話があり、被災地を取材
したところ、多数のところで、救援物資も燃料も届いていない。まるで阪神淡路
大震災の3日目のようだと、憤慨していたとの報告がありました。

被災した子ども 泣いたっていいんだ

3月30日の毎日新聞社説の転送
執筆者は、知的障害児の父親であり、千葉県の障害者差別禁止制定にも深くか
かわってこられた野沢和弘論説委員です。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110330k0000m070164000c.html

社説:被災した子ども 泣いたっていいんだ
 父や母を求めて避難所を回っている小学生がいる。がれきの中から思い出の写真やカバンを探す子どもたちもいる。卒業式では笑顔も見られた。「がんばれ」。けなげな姿に全国から声が上がる。死者1万人以上、行方不明者1万6000人以上。信じられない現実を前にしたら誰だって励ましたくなる。どこかに希望を見つけたくなるものだ。
 しかし、子どもたちは十分にがんばっている。現実に起きたことを大人のようには理解できず、気持ちをうまく伝えられなくても、恐怖やショックによるトラウマ反応、家族や自宅をなくした喪失感は子どもの心にも起きる。今、必要なのは励ましよりも、小さな変化に周囲が気づき適切なケアをすることだ。
 眠れない、食欲がない、赤ちゃん返りをする、大きな音におびえる、いらいらする、夢にうなされる、好きだったことをしなくなる。このような様子が見られたら注意が必要だ。「大丈夫だよ」と声をかける、寝るときは一人にしない、スキンシップを心がけるなど、安心感を与えるための配慮が必要になる。被災体験を繰り返し話す子もいるが、衝撃的な現実をなんとか受け入れようと苦しんでいるサインだと思って辛抱強く聞いてほしい。
 「弱音を吐くな」「もっと大変な人がいる。負けるな」などの叱咤(しった)激励は禁物だ。こちらは一生懸命に励ましているつもりでも、子どもを追い詰めるだけという場合がある。自分だけ生き残ったことで罪悪感に苦しんでいる子もいる。泣きたいのに我慢したり、つらい気持ちを隠したりする必要はないことを伝えるべきだ。被災した子どもへの対処法については日本臨床心理学会や国立精神・神経医療研究センターがホームページで紹介している。心のケアの専門職が被災地に入っているもののとても足りる状況ではない。関係学会はメールや電話相談も開設しているので積極的に利用してほしい。
 被災直後は気持ちが張っているため休まなくてもがんばり続けられるが、長期化すると急に落ち込んだり体調を崩すことがある。被災後の小さな症状は適切な配慮をすれば一過性のものとして回復することが多い。しかし、そうした症状が1カ月以上続いたらPTSD(心的外傷後ストレス障害)の疑いがあり専門的なケアを受けることが必要だ。
 また、衝撃的な映像を繰り返し見ることで直接被災していない子どもにも不眠などの症状が起きる場合がある。不安を訴え、教室で突然泣き出した子もいるという。日常の中の異変を見落とさないでほしい。
 これからが正念場だ。小さな命をみんなで守りたい。

昨日、理事の八幡さんが現地に

 報告が遅れてしまいました。
 昨日朝早く、理事の八幡さんが宮城県仙台に向かいました。当面一ヶ月ということになっていますが、少なくとも2、3か月、おそらくそれ以上、仙台の救援活動の拠点で奮闘することになります。
 八幡さん、体に気をつけてください。
 今夜、障害者救援本部の会議があります。くわしくは、トピックスをごらんください。
 よろしくお願いします。

3月26日街頭募金の報告

 3月26日、大阪難波ビックカメラ前での街頭募金行動は20団体、90人が参加し、32万5291円でした。募金していただいたみなさん、ありがとうございました。参加されたみなさん、ご苦労様でした。

鎌田實さんがゆめ風基金の呼びかけ人に

 ゆめ風基金は阪神淡路大震災を機に、いつ起こるかわからない自然災害の被災障害者を長期的に支援するため、全国の障害者運動のネットワークによって設立されました。
 ゆめ風基金に対して、今回の大震災まで国内外の自然災害に被災した障害者の支援活動に賛同し、応援しようと永六輔さん、小室等さん、山田太一さんなど各界の方々が呼びかけ人となり、基金活動を支えてくださっています。
 今回の大震災を機に、呼びかけ人代表の小室等が声掛けをしてくださり、鎌田實さんが新しくゆめ風基金の呼びかけ人になってくださいました。またご自身のブログでもゆめ風基金のことを紹介してくださいました。
 鎌田實さん、ほんとうにありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
鎌田實さんのブログ・ゆめ風基金を紹介してくださったページ
原発事故90
小室等さんから、NPO法人ゆめ風基金の寄付の呼びかけ人になってほしいと言われ、もちろん承諾した。
障害がある人など、震災弱者に対して支援する基金だという。
たとえば、耳の不自由な人は緊急地震速報や防災無線の放送などを聞けないことがある。
命にかかわる情報を、障害のある人たちにどう伝えるか工夫している。
大事なことだと思う。
一昨日、南相馬の避難所の体育館で、脳卒中で片まひの女性に会ったばかりだった。
もし、緊急に避難指示が出た場合、どうするのだろうかと気になっていた。
何かあってから慌てて避難するのではなく、今のうちから、介護しているお母さんと一緒に宿泊できるバリアフリー施設を探し、移れるといいなと思っていた。
ゆめ風基金の事務局長に電話をすると、すぐに対応しますと言う。
場合によっては郡山に支所があるので、スタッフを向かわせたいとも言ってくれた。
今日、南相馬市立総合病院の遠藤先生にこの女性と話してもらい、ゆめ風基金で避難先を探してもらうようにすすめてほしいとお願いしている。
避難は長期的になっている。
もう体育館なんかを避難所にしてはいけない。
一人でも移れる人から移ったほうがいいと思う。
障害のある人は特に、最大の支援の手を差し伸べたいものである。

永六輔さんのラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」

 「ラジオで永六輔さんの放送を聞いたんですけど」と、ひっきりなしに電話がかかってきます。
 28日から30までの3日間、「永六輔の誰かとどこかで」で、永六輔さんがゆめ風基金のことを紹介してくださっているからです。この番組は午前11時35分から12時までなんですが、昨日も今日も放送が終わったとたん、事務所の電話が一斉に鳴り始めるでした。
 たしかにツイッターなどの新しいメディアのちからにはめざましいものがありますが、ラジオもまた、古くて新しいネットワークメディアであることを実感します。永さんのこの番組は1967年に「どこか遠くへ」という番組名で始まり、2年後に今の題名になって現在まで続く長寿番組で、昔からのリスナーも最近のリスナーもこの番組を通じてとても深くつながっているのだと思います。
 そういえば、ゆめ風基金のイベントに道上洋三さんが出演された時、阪神淡路大震災のお話をされていました。 淡路島で救助隊が全壊した家の前を通るとラジオの音が聞えてくるので瓦礫をのけると、おばあちゃんが見つかり、救助されたそうです。そのおばあちゃんが「私の命の恩人は道上さんや」と言ったそうです。「ラジオがなかったら自分は助からなかった。ラジオの音がしてたから自分は助かったんや」と。「子供は名古屋と東京に一人ずつおるけど、全然電話もつながらないし、どうにもならんかった。ラジオが私を助けてくれたんや」と。そして最後にひと言、「こういうときはあれやね、遠くの親戚より近くのラジオやねぇ!」って言ってくれたそうです。
 たしかにテレビが登場して以来、ラジオの役割はパブリックなものからパーソナルなものにかわり、切実な肉声を伝えるメディアなのだと思います。そう考えると、ツイッターやフェイスブックなどのコミュニケーションツールは、どこかラジオと似たところがあるのかも知れません。
 いま、被災地でラジオが大切なものであることはまちがいないと思います。そして、ラジオから聞こえてくる歌が少しは被災地の人びとをなぐさめ、永さんの語りがひとびとを勇気づけていることが、電話が鳴り響く事務所に伝わってきます。永さんの作詞による「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」が被災地のラジオから聞こえてくるようです。

すべてのひとの共に生きる希望をたがやすために

売上金全額をゆめ風基金とする被災障害者救援バザーを開く豊能障害者労働センターが、機関紙読者に向けて呼びかけた手紙を転載します。
すべての人の希望をともに耕すために
 東北・関東大震災で被災された、すべての市民の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
 私たちは、テレビから映し出されるすさまじい現地の状況の前に、ただぼうぜんと画面を見つめ続けるだけでした。この「積木」は、今まさに被害を受けて困難な状況に追い込まれている地域に宛てて、届けられていました。そこに暮らす方々が、Tシャツをトレーナーをカレンダーを、注文してくださっていました。バザーの品物を、箱いっぱいにつめて送ってくださっていました。
 プラスWe会員(豊能障害者労働センター後援会員)の方の住所が、被災された土地にあることを知り、心がしんと止まります。
 想像さえ届かない状況の中で、そこに暮らし、私たちに声を届けてくださっていた方々は、今、どうされているのか。今、どこにいらっしゃるのか。
 十六年前の阪神・淡路大震災を思います。その時は箕面も被害があり、被災した土地が、隣の街そして隣の街と、震源地に向けてより大きく、より深く、傷跡を残していました。被害にあった街の中には、「生きています」「連絡をください」のはり紙が、風に揺れていました。私たちのところにも、被災地に暮らし働いていた障害をもつ仲間の、今、を伝えるFAXが、転送から転送を繰り返して、とぎれとぎれの文字を伝えていました。
 ここにいる。この文字を見たら連絡をください。文字と、届いてくれという振り絞る思いが、被災した街を包み支えていました。
 今回の地震で、避難されているいろんな障害をもった人々は、どう命をつないでいるのか。息をのむような現状の中で、もう一度、自分たちの暮らしを取り戻すことができるのか。生き続けることができるのか。たくさんのことをなくしてしまった今、今に続くあしたを思うのは、どれだけの力がいるのだろう。
 けれど、もう一度。
 もう一度、ともに生きることを。再びと願う土地で、生きる希望を持ち続けることは本当に大変なことだと思います。被災地から遠い私たちが、希望という言葉を語ることをどうかお許しください。
 けれど、そこに暮らしていたにんげんの確かな営みが途切れてはいけない。一人一人の足跡が、その土地のかけがえのない歴史を物語り、愛おしい日常を育んできた。長く長く続く困難の中にも、ともに生きる勇気が、もう一度そこに暮らす人々の足跡となり、希望につながると信じたい。そしてその希望をみんなで耕すことで、にんげんがにんげんとして生きていく土台が、しっかりと根付いていくのだと思う。
 大地に鍬を振り、空気をすき込む。ほぐされた土の中で、微生物が循環し、いろんな生き物が、ゆっくりと息を吸い、息を吐いていくように。
 大地があって、空があって、街が息づき、人間が生きる。
 ともに生きる土台が、再生されることを、続いていくことを、心から願います。
 大阪にいる私たちの仲間が、行動を始めています。東京と大阪が連絡して救援本部を置き、被災地にいる障害をもつ仲間に、支援を届けるべく現地に入り、支援の拠点を立ち上げ情報を集めようとしています。大至急、そして継続的な支援が必要です。
 私たちは、その動きにたえず反応をしながら、被災した障害者の暮らしをしっかりと支える生きたお金をつくり出したいと考えます。
 五月のいつもの私たちのバザー「みんなでつくる春のバザー」を、「被災障害者救援バザー」にすることを、みんなで決めました。バザーの売上はすべて、「被災障害者支援NPO法人ゆめ風基金」に届けます。
 命を救い、あしたを支えるお金を、私たちはつくりたい。これは、被災地にいる障害をもつ仲間だけではない、私たちのこれからでもあるのだと、思います。
 すべての人の希望をともに耕すために。
 どうか、私たちの行動を、応援していただけないでしょうか。

仙台の報告 

わらじの会からの被災地情報です。
草加のめだかの会(わらじとも長いおつきあい)の西陰さんから
仙台の報告が入ったので、転送します。
西陰です。
<仙台訪問について>
3月25日(金)朝、ガソリンの携行缶を持って仙台に向けて出発し、昨夜(土曜日)
遅く帰ってまいりました。
今回の訪問は身内の問題もありましたが、救援物資を避難所に行けない人たちに届け
ることでした。調べると仙台にある「CILたすけっと」がそれを行なっていました。
この団体は宮城県のゆめ風ネットを担当している団体でもあり、わらじの今井さん
からも訪問を勧められました。
○金曜日=「CILたすけっと」を訪ねると、一番ほしいのは大人用、子供用オムツ
であると知らされました。積んでいった毛布や防寒着はこれから行く石巻でほしい人
がいるかもしれないので、同乗していってはどうかといわれ、軽ワゴン車に荷物を積
み替えて乗り込みました。「CILたすけっと」では被災者個人からの要望に応じて物
品を配達しており、今回は七ヶ浜町で1件、石巻で2件いずれも大人用オムツを配達す
る予定でした。
仙台から石巻までは写真のように道路以外はがれきの山で、松島の太い松も道路
際に転がっていました。港も工場も無残な姿で、無数の車やトラックが道路わきに寄
せられていました。列車も横転していました。ナビゲーターを駆使して走るが、通行
止めだったり、道路が変わっていたり、土地勘のない人には被災地を走るのは無理と
思いました。また、住所地の建物が危なくなり急遽避難所に入ったというケースもあ
り、発注した本人に会うのに大変な時間がかかりました。ようやく会ってダンボール
に入った品物をを渡すと何度もお辞儀をされました。津波が押し寄せた後には、地
盤が陥没したところに湖のようなところができており、地震と津波のすさまじさを感
じさせました。
運転していた菊池さんはガソリン切れの赤ランプが着くと、携行缶からガソリン
を補給。橋のたもとでは段差が生じており、信号も消えた中で四苦八苦の運転でし
た。
午後2時ころ出発し、帰ったのは9時近くでした。
結局、積んでいった毛布と防寒着はそのまま持ち帰りとなりました。これらはもっ
と孤立した場所で必要かもしれないということで、「CILたすけっと」で引き取って
もらうことにしました。
○土曜日=この日は娘の単身赴任している夫の引越しの手伝いに半日を費やしまし
た。借りていたマンションの壁が地震でひび割れが生じ、玄関ドア(あとでバール
でこじ開けた)やベランダに出るガラス戸も、ゆがんで開かなくなったためで、部屋
も床の部分が曲がり、変形していました。
それが終了した後、「CILたすけっと」の豊川さんに電話を入れ、昨日空にした
ガソリン携行缶へのガソリンの買い入れ支援を申し出ましたが、現在は、全国各地か
らの支援で携行缶で現在100リットルの蓄えがあり、また、市内の給油所で確保でき
るルートも持っているとのことでした。日ごろからの活動の積み重ねがこうした支援
を可能にしているのだと強く感じました。
また、ゆめ風基金の八幡隆司さんほかのメンバーが3月30日から常駐して支援に当たる
ことになったと聞きました。被災地では米は足りているようだとの話を聞き、
持参したお米25kgをゆめ風基金や他県からの支援者の滞在時の食料にということで渡
しました。
このように大した支援にならない訪問でしたが、及川代表、井上副代表など
「CILたすけっと」の人たちからは大いに歓迎されました。豊川さんから以下を頼まれま
した。それはオムツなど必要な物資の種類は全国自立生活センター協議会(JIL)を通
して配送されてくるので、この団体のホームページに注目してほしいこと、石巻で見
たことや配達を通して感じたことを皆さんに伝えてほしいこと、でした。
撮ってきた写真は、誰もがくらしやすいまちづくり実行委員会のホームページに
近く掲載予定です。URL(アドレス)は下記を参照ください。
くすのき荘、ゆりのき荘への救援物資について>
ほかに移動される方もいらっしゃるようですが、3月26日現在、くすのき荘に30人、
ゆりのき荘に4人避難しています。会食会のほかに市民の皆さんからの支援物資も届け
られているようです。私が知っている範囲では、お米、のり、缶詰、みそ、クッキーどが届けられています。明日は、お米、にんじん、玉ねぎ、洗剤、魚の缶詰、トマト缶ジュース、歯ブラシ、
カイロなどが届けられようとしています。
皆さんの支援の輪が広がっています。
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  防災避難体験・越谷連絡会議
   FAX:048-989-1564
  mail:rv32fh5@spice.ocn.ne.jp
Homepage:
http://www.geocities.jp/hipc55/
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埼玉わらじレポート 

わらじの合宿でお世話になった事がある団体等に連絡を入れています。
福島の白川郡鮫川村にある不登校の子供たちの施設「明日飛学園」は
建物の被害だけで、人的な被害はなかったということでした。
子どもたちも春休みという事で家に帰っているようです。余震と原発が心配だそうです。
やはり、海岸線が甚大で、ニート支援もやっているので、県内の不登校のグループと連携して
これからニートの若者たちの消息確認や情報を集めて行こうという事です。
やはり、携帯がつながらない人とかとはまったく連絡がとれないそうで、
道路もなかなか移動手段がなくて困っているそうです。北からしか道が入れないそうです。
自宅待機の人と何人かは連絡が取れ、水道が出始め、ガソリンもなんとか手に入り始めたけれども
原発の風評被害で物がなかなか手に入りにくいという事でした。
今の所は、具体的な支援がわからないので、少し動き出したら連絡を取り合う事にしました。
とりあえず、被災地支援センターのこおりやまの方の連絡先を伝えました。
お互いが、必要なこと情報等をやり取りできればいいなと思って伝えました。
これから千葉や茨城の人たちと、連絡を取り合おうと思います。
今日の段階ではまだ電話がつながらない状態ですが。