障害者が町づくり、暮らしづくりをになうこと

調査の先について考える事 さいたまゆめ風 わらじの会 2011/4/16
今回4/15までの調査では障害者の姿が見えにくい現状があるものの状況が少しずつ見えてきていると思う。
ここではまだ全県的な調査が終わっていない状況も鑑み、調査を止めるという事ではなく、調査と共に考えていける支援の形を考える必要があるとも考える。
今回の震災・津波などの大きな被害の中で、この先例えば避難所や一時的に身を寄せる場所から”日常”に戻っていくには非常な課題がある。これは被災が異常なほどの広範囲に渡り、地域が壊滅的な打撃を受けていることで”日常”をじっくり支える為の”地域”そのものが無くなってしまっていることが大きな課題と考える。これは生活のための商店街であり、障害者だけでなく皆が糧を得ていくための職場であり、そもそも生きていく為のすべてといっても過言ではないだろう。また一つ重ねて気になるのは地域の復興をと考えて頑張っていくときに、障害者はやはり被災前よりもさらに、例えば山の中の施設のようなところに、「今かまっている余裕がないから」と囲い込まれていく機能性も高いと感じる部分だ。
暮らしを作る。その過程において障害者が作る側、また提供する側に少しでも廻っていく事。こういった考え方とそれを小さくとも具現化したモノがなにか必要に考えている。
今回の被災の規模は未曾有であり、ピンポイントの支援には限界がある。そう考えたときに、例えば既に支援している”地域で豆腐屋を続けていくための支援”のような、地域を障害者が共に支えていく部分を後押ししていく事は重要だと考えている。
例えばの例として
・岩手での支援活動の中に障害者がもっと入っていくこと。
  (有償での人材補填が18万円/1人であるよりも例えば障害当事者が6万円×3人、3万円×6人と入ってくることは広がりを持つと考える。またその送迎などを同じく被災する地元の人に頼むのもあり。いずれそれが制度利用に繋がれば更におもしろい※①)
・ スキルのある障害者が避難所の中であっても商売を始めていくこと。   (※①部分はここでも共通に考えていける。EX被災先でのマッサージ業など)
・復興していく現場での弁当販売や御用聞きなど。(これは現場であり、かつての、そしてこれからも続く地域に早く存在する事で障害者も仲間であることを周りにアピールしていく力があると考える。これは例えば沿岸部へ向かう途中の道の駅どでの販売で強くアピールすることもできる?) 

新しく呼びかけ人になっていただきました。

ゆめ風基金の活動を応援しようと永六輔さん、小室等さんをはじめ多くの方々が呼びかけ人になってくださっていますが、新しく9人の方々が呼びかけ人になってくださいました。
石井彰さん、オオタスセリさん、鎌田實さん、きたやまおさむさん、林英哲さん、松島トモ子さん、光野有次さん、本橋成一さん、森達也さんです。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

さいたまゆめ風 わらじの会より岩手レポート

4/14~4/15 岩手調査状況 さいたまゆめ風 わらじの会 ヨシダ
                    
○一ヶ月という時間と岩手気質?
 4/14は陸前高田、釜石の調査。土地へは被災地障害者センターとして初めての調査入りである。大まかな状況としては被災後一ヶ月がたっており、例えば生存を維持するための
アレコレという部分についてはやや安定してきているように見える。これは避難所に避難している人においては、とりあえず雨露をしのげていることで「とりあえず満足」としているといったところでもある。例えば陸前高田で避難している、ある視覚障害の息子をもった母の言葉を借りれば、「欲しい物、足りない物はあるがそんなことをいったら周りにどう思われるかわからない」といった問題もあるよう。また調査の中では一般の避難所の中になかなか障害者の姿を見ることができない現実がある。
 両地点とも行政・公的な支援をおこなう場所(市役所、社協)から調査に入り、ついで避難所で障害者を探しつつ調査を続けるという形になった。初日は両地点とも障害当事者の姿を一般の避難所の中に見つけることは難しかった。話の中では介助を必要とする障害者は日ごろからかかわりのある施設に避難しており、これは福祉避難所というよりも日ごろ関わっている障害者施設に家族なども含めて身を寄せたという構造らしい。
 またこの形での避難を形作っていった背景の一つには、陸前高田、釜石ともに土地に障害当事者が主導する団体、活動がないこと。また釜石地区の調査などからはそもそも地域において“障害者がいる”という存在そのものが比較的表に出ない、出したくない地域性などにも起因する様子。
地域のいわゆる社会資源の成り立ちについては、入所施設を中心に徐々にニーズに合わせて放射状に活動を広げていき、地域の障害者福祉の中心的役割となっていった障害者施設(入所施設など)の姿がある。こうした施設は都市型のNPO団体などが群雄割拠するスタイルとは確かに違いはするが、昨今の障害者福祉の構造的変化に伴い、自分たちのテリトリー以外の市井の障害者の相談も受けていくような形も持つにいたっているところが多く(生活相談のセンターなど)、その点においてはそうした対外的な支援の側面に対して非常に熱意を持って職員が安否確認を行っていったような経緯も見えてきた。これは例えば4/15の大槌町の調査などからは地域の生活支援のキーマンが被災3日目くらいからの早い段階から1000人以上の障害者の安否確認などをほぼ個人のレベルで(そうした仕事についていたとはいえ)おこなっていった様な部分にも見えてはいる。
 この部分は行政側への取材で早い時期から話が出てきていた部分でもある。比較的早い時期から行政側は、「障害者市民の安否確認は県のフォローを受けながらやっている」と話してはいた。しかし被災地センターの調査としてそれでも大枠での見方ではなにか抜けがあるのではないか?と意識的に調査を続けてきたわけではあるが、実際に回っていく中では大枠のローラー的調査(これは実際に土地をローラー的に進んで行ったものではないが)と、その穴を補填するような前出の地域のキーマン的な施設、施設職員によって担保されていったのではないかともいえる。
 また度々「ショートステイを利用してー」という言葉が調査の中で聞こえてきた。これは地域でいわゆる自立生活をヘルパーなどを使いながら地域で営むようなスタイルが少なく、少ない社会資源の中で日常的な在宅生活の補助としてショートステイを利用しているような暮らしぶりが伺える。また今後、このショートステイという避難の形からの地域移行、地域への復帰に関しては在宅の障害者が家を失っていることなども含めてショートステイとはいえ非常に長期化する傾向、ましてやそのまま施設入所していってしまうような状況も予想される。
以下、キーワードとして羅列する
・ 大変な人はみんな収容されている?
・ 障害者の被災率が高かった?→避難所での障害者の少なさ?
・ 地域のキーマンの疲弊。またその支援は地域に根ざして支援していく人の圧倒的な不足。
→地域づくりからはじめなければいけない大変さ。

新リーフレットできました

つい先日、ゆめ風基金の新リーフレットができました!
今回の東北関東大震災・津波への支援の輪を拡げるために内容を一新しました。
新リーフレットぜひ一度読んでほしいので、リーフレットの内容を抜粋しておきます。
-------------------------------------------------------–
「16年間に寄せられた基金のすべてを東北関東に届けることから…」
◆被災地の障害者の心意気に後押しされて始まった!
 阪神淡路大震災での障害者たちは、ことごとく後回しにされた立場だったのですが、被災地の彼らは普段の助け合いネットワークを活用し、いち早く炊き出しを実施、寒さに震える地域の人々に「日頃の恩返し」と豚汁を配ったのでした。この心意気に後押しされて、それでは緊急時に普段から備えておこうと、「ゆめ風基金」運動が発足しました。
 この16年間に地震・噴火・豪雨・台風…さまざまな自然災害が起こり、「ゆめ風基金」からは海外も含めて計6,017万円(3月31日現在)を被災地の障害者・児に届けてきました。また、活動を展開する中で、「もし、阪神淡路規模の大震災が起これば、それまでの蓄えている基金をそっくりそのまま被災地の障害者に活用してもらいます」と伝えてきました。
◆こんなに早く、基金のすべてが活用されるとは……
 だけど今回の東北関東大震災は、強烈な揺れに加え、広範囲にわたって津波が襲い、そのうえ福島第一原発では建屋が次々と破壊し、放射能被害については大変深刻です。阪神淡路大震災をはるかに超える規模になってしまいました。
 心のどこかで準備していましたが、こんなに早く基金のすべてを投入しなければならないとは思ってもいませんでした。でも、「ゆめ風基金」運動はこんな日のために活動してきたのだとも思いました。
 いままでの基金2億円をそっくり、いち早く東北・関東の被災した障害者・児の手許に届け、活用され始めました。
◆どっこい、いろんな障害者が 同じ街で生きているよ
 だけど、まだまだ足りません。そこで私たち障害者市民と共に生きる市民は、東京に障害者救援本部を設置し、阪神淡路大震災の時に救援本部を立ち上げたメンバーがその体験を活かしながら、被災地の障害者たちとスクラムを組みました。
 また、全国各地に点在する「ゆめ風ネットワーク」(2011.3/17現在51か所)とも連絡を取りつつ、息の長い活動に挑み始めています。ただ、途中で息切れしないよう自分たちのペースでやろうと語り合っています。
 まずは被災地の状況がもう少し分かるまで、それぞれの地の賑やかな所で「どっこい、いろんな障害者も同じ街で暮らしているよ」と示すためにも、各地で障害者が陣頭に立って街頭募金を始めています。
-------------------------------------------------------–
また、ゆめ風基金はさまざまな方のご支援をいただいています。
みなさんにおなじみの方をちょっとだけご紹介します。
----------------------------------------—
・呼びかけ人代表グループ(50音順、敬称略)
小室等(代表)/永六輔(権代表)/東ちづる/石井彰/一番ヶ瀬康子/イーデス・ハンソン/伊奈かっぺい/李政美/及川恒平/オオタスセリ/おすぎ/落合恵子/おーまきちまき/掛布雅之/桂小春團治/桂文福/桂南光/加納浩美/鎌田實/上沼恵美子/河内家菊水丸/きたやまおさむ/喜納昌吉/後藤悦次郎/こむろゆい/佐高信/さとう宗幸/ジェフ・バーグランド/渋谷天外/清水哲/笑福亭伯鶴/レツゴー長作/辛淑玉/新谷のり子/新屋英子/曾我廼家寛太郎/高石ともや/趙博/槌田劭/道上洋三/中山千夏/朴慶南/長谷川きよし/林英哲/ピーコ/増田明美/松島トモ子/光野有次/向井承子/本橋成一/森達也/山田太一/横路孝弘/四角佳子
(ほか2011年3月現在991名)
「ゆめ風基金」のホームページでは、呼びかけ人からのメッセージを紹介しています。
・賛助会員(50音順、敬称略) 
笑福亭仁鶴/谷川俊太郎/吉永小百合
(ほか2011年3月現在9,328名)
・この16年間に亡くなられた呼びかけ人(天国から見守られて…敬称略)
内海好江/岡部伊都子/黒田清/茂山千之丞/壽岳章子/筑紫哲也/灰谷健次郎/松下竜一/村山實
----------------------------------------—
この前紹介した永六輔さん・小室等さんのメッセージももちろん、載っています。
このリーフレット、手にとって見てみたい、という方はぜひご連絡ください。

障害者の方たちにも支援が届きますよう、活動を応援しています。

このたびの地震で、仙台に住む車椅子ユーザーの友人が被災しました。
ヘルパーさん不在のときでした。電話も何日も繋がらず、誰も安否確認に足を運んでくれずで、飢え死にするところだったと言っていました。。
やっとヘルパー事務所に電話が繋がったものの、ガソリンなく来れず。。
せっかく助かった命でも、人災によって死んでしまうこともあるかもしれず、本当に心配です。
どうか動けない障害者の方たちにも支援が届きますよう、活動を応援しています。

淡路島で救援バザー

来週21日・22日、淡路島で東日本大地震で被災された障害者を救援するバザーが開かれます。
売り上げはゆめ風基金になります。
バザーの品物を集めています
ぶったぁ福祉会  TEL 0799-70-6145

4月29日、ビッグアイで東日本チャリティライブ

4月29日、ビッグアイで東日本大震災チャリティライブ「PLAY for PRAY・言葉と音楽で紡ぐ希望への祈り」が開かれます。チケット売り上げの半分をゆめ風基金にしてくださいます。
場所 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)多目的ホール
出演 松永貴志、サキタハヂメ、わたなべゆう他
手話通訳、副音声ガイド、リアルタイム字幕付き
主催 ビッグ・アイ共働機構
お申込み 072-290-0974

ヒデの救援レポート4月14日

 4月10日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は79205940円です。
 支援する団体、個人と金額。新潟被災障害者後方支援障害者センターの立ち上げ支援金を検討中です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
 大震災救援の中のボクの風景。チェルノブイリ原発事故の放射能線量の10分の1だと、福島原発事故の規模を、東電、政府は、発表したけれど、比較にならないことを比較するのを、詭弁と言う。チェルノブイリの事故は、10日で押さえ込むことが出来たけれど、福島原発事故は、相当な規模で、継続中なのです。積み上がる線量は、予測も出来ない規模でしょう。チェルノブイリ原発の30キロ圏内は、現在でも立ち入り禁止区域なっているのです。福島原発周辺から避難しているひとたちは、いつになれば、ふるさとに帰れるのでしょうか。のどかな、暖かい風の吹く土地に、無残な姿の原発が、遥かかなたに佇んでいる風景。風になびく水蒸気の白さが、目と心に痛い。原発も臓器移植も、同じような性質を持っています。人間の尊厳を脅かしながら、いったん始まれば、止まることを知らないからです。人間存在の意味や、いのちの意味を問いかける事柄なのに、それには目を閉じて、作り続け、人間のいのちを切り刻み続けるのです。たった今、少年のからだが切られつつある風景の中にいるボクたち。
 ゆめ風基金事務局長橘高さんが、被災地実情把握のために、13日から、17日までの予定で、被災地仙台に向けて出発しました。ますます、ゆめ風基金事務所は、人手不足のままです。誰でもいいですから、お手伝いをお願いします。
 ゆめ風基金臨時機関誌に掲載された、箕面市の豊能障害者労働センター主催の5月14日開催、被災障害者救援大バザーの呼びかけに反応して、各地からバザー用品がどんどん届いています。宅急便が40個以上。引き取りが30件以上。持ち込みも多数に上っています。
バクバクの会の平本さんが、病院通いの合間をぬって、ゆめ風基金事務所に、お手伝いにおいでになりました。名古屋からは、はるばる内木さんという方がお手伝いに来られました。感謝です。東京から、中野区議会議員の佐藤ひろこさんがおいでになり、4月には、引退するので、実家が大阪なので、時々帰省するから、お手伝いしますとのこと。東京では、人工呼吸器を使う人たちと一緒に活動していると。たまたま事務所にいた、バクバクの会の平本さんと話し合われました。
仙台:たすけっと:からの文章の要約です。
現在、支援活動も、延べ120件をゆうに超え、今も変わっていく、ニーズに対応しています。
僕たちたすけっとでも、被害を受けた障害者の支援を行っているところです。
元の美しい東北に戻るには、長い年月が必要だと思いますが、一歩一歩前へ、時には休みながら復興へ歩いて行こうと思います。W
もしあの地震のとき、一人でいたら動けずケガをしたかもしれません。もしか
したら死んでいたかもしれません。仲間といてよかった。一人じゃなくて、本当によかったです。ヘルパーさんや大切な仲間とともに過ごせる毎日を大切に自分たちにできることを積み重ねていきたいと思います。I
地震に備えて避難所を整備せねばと主張していた立場から、自ら避難所へ。で
すが、一般避難所には、いられないと身をもって思い知りました。そして、たすけっと事務所で十数人で毛布にくるまり、声をひそめておりました。事務所のある地域は、津波の被害はありません。ライフラインは、徐々に復旧し、地下鉄も走っています。津波の被害を受けた地域は安否確認に追われ、高齢者が野戦病院のごとき所に避難されています。こんなギャップに愕然としながらも、とにかくつながって、復興、再生へ向けて動いています。元気を出して、永く地道に活動したいと思います。ご協力に感謝!O
 わらじの会の友人、新野さんからの南相馬市の風景リポートの抜粋、要約です。
国道6号線、原発から30キロ地点には、:10キロメートル先立ち入り制限
中:との看板があり、道路の真ん中に警察車両が待機している。コンビニ、レストランなど、ほとんどの店は開いていない。原町火力発電所あたりでは、津波が国道6号線を超え、国道そばに漁船やクルーザーがゴロゴロしている。役所は、開いているが、避難した職員もいて、手が回らないらしい。
 病院も同様。郵便、宅急便、新聞も配達なし。行き交う車は、警察車両か自衛隊車両がほとんど。夕方からは、消防車も加わったが、一般車は、あまり見かけない。家があっても、ひとの気配がしない。南相馬市の道の駅から、2キロほど南下すると、バリケードで、これから先立ち入り禁止の掲示。自動販売機には、電気は来ているが、全て売り切れていた。横川ダムあたりは、人家がほとんどなく、人の気配は、全くない。道は地割れ、土砂崩れが多く、岩がゴロゴロ。町、村も、原発の放射能を避け、集団避難をしたらしい。避難指示地域では、捜索活動がまったくと言っていいほどされていない。
以上!

ヒデの救援レポート4月12日

 災の報道の影に隠れて、事故にあった、子どもの初臓器移植が、大阪大学医学で、両親の同意でされるとの知らせがありました。くそっ、命の危機が震災の津波と同じように、押し寄せている。警戒警報です。子どもの未来と命を豊かに守れのヒデです。
 4月9日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は75081226円です。
 支援する団体、個人と金額。岩手県盛岡の被災地障害者支援センター準備会に、立ち上げ資金としての200万円決定。新潟県の自立生活福祉会へ、避難障害者用に、自立生活体験室の改造と風呂の設置のために、150万円決定。仙台市のすまいる作業所の豆腐作り用のボイラー倒壊再建のために、110万円決定。津波で流失した精神障害者日中活動拠点を再建するために、特定非営利活動法人、みどり会に、150万円決定。また、新潟被災障害者後方支援障害者センターの立ち上げ支援金を検討中です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
〓息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
 大震災救援の中のボクの風景。大震災発生後、1ケ月。やっと、なのか、まだ、なのかは、被災障害者や被災地のひとたちが決めることなのかも知れないけれど、胸につかえた、えもいわれぬ、想いが消え去る兆しは見えないままにあります。地震、津波、見通しの立たない、原発事故。そのいずれもが、被災地を覆い尽くしています。大津波に襲われた、被災各地の風景が、テレビに映るたびに、息をのむ、風景の中に、誰もが生きているのですね。
 大震災被災障害者救援向けの、新しいゆめ風基金のリーフレットが出来あがりました。必要な方は、事務所までご連絡ください。お送りします。
 10日の毎日新聞に、比較的大きく、9日の統一共同救援カンパ活動が、写真、連絡電話、振り込み番号付きで、掲載されました。
 岩手県遠野市の吸引が必要な娘さんの看護を5年されているSさんからの通信の要約です。娘さんは、多発性硬化症。電動ベッド、エアマット、吸入器、経管栄養:胃ろう造設:、オシメ、ストマなどで在宅生活。3月11日の地震では、停電、ガソリン不足、物資輸送の困難などで、ケアに使う医療物品の取り扱い、入手に困難が生まれました。その体験から、発電機、物品の買い置きの必要を痛感。それでも、今は、手に入れられないとしても、数カ月後には入手可能だろうと、タカをくくっていた矢先、4月7日、6強の地震が発生し、全県下が停電。そのために、なにか、全てが振り出しに戻ったような雰囲気に包まれました。その停電時の我が家の状況を見て、被災地NジイO協働センターの知り合いのお一人が、ならばと、ゆめ風基金に電話をして、発電機の手配をしてくださいました。
4月8日の夕方5時ころ、発電機が届きました。車のナンバーは、春日部とあり、驚きました。ひとりの困難者の為に、こんな遠くにまで届けていただいたのです。その届けてくれた人は、ほんのすぐ先からやって来たかのような態度をお取りになり、現状の聞き取りも、こちらが答えやすいように聞いてくださり、アドバイスも的確で、素晴らしい人でした。言葉では言い尽くせない、感謝でいっぱいです。おかげさまで、娘は、落ち着いております。ありがとうございました。
 11日、NHK大阪の報道部が、ゆめ風基金事務所を取材。牧口代表のインタビューも撮影されました。放映は、未定ですが、12~13日のいずれかの報道番組みたいです。機会が合えば、ご覧ください。
ゆめ風基金よびかけ人のおひとりでもある、女優の吉永小百合さんから、サインつきのプラダのバッグふたつと、サイン色紙が送られてきました。感謝です。
でも、どうしたらいいんでしようかね。
 いわき自立生活センターのHさんの文章からの抜粋、要約です。障害者福祉事業所の連絡協議会でのこと。原発事故の拡大に伴い、入所施設系は、集団として避難をしているところもすでにあり、集団避難型。一方、通所施設系は、避難は、基本的に家族が対応というものが大半。そのようなことを全く考えていない事業所は、そこまで事態は深刻なの?と、顔面蒼白でした。こんな話し合いをするとは2ケ月前には、思ってもいませんでした。知的障害者や、精神障害者が、普通の避難所で口汚くののしられ、シャットアウトされていることや、症状が悪化していること。また介護報酬の大幅ダウンによる事業所の危機という話も出され、とても重い雰囲気でした。
 11日に開かれた、ゆめ風基金緊急理事会では、当面の支援金の方針が決められました。
1:いままでに立ち上がった被災現地支援障害者センターからの支援要請は、東京被災障害者救援本部に一元化す  る。ゆめ風基金は、救援金を供給する。
2:八幡理事が現地入りし、関係性を作った支援障害者団体については、ゆめ風基金から、救援金を供給する。
3:そのほかの支援要請については、ゆめ風基金の通常の救援として、ケースバイケースとして対応する。
余震が頻発しています。被災地は、特にひどいでしょう。心配ですね。
以上!